2017年11月14日火曜日

〔ためしがき〕 形式と自由 福田若之

〔ためしがき〕
形式と自由

福田若之


形式について認識し理解するために、形式という言葉を道徳から取りかえすことが必要だ。形式とは「こうあるべきだ」と命じる無数の掟の束だろうか。そうではない。形式とは、たんに「こうあるのだ」と告げるもののことだ。

「俳句はこうあるべきだ」と告げるのは形式ではない。 それは道徳的な規範でしかない。こうした規範のもとで、俳句は限定される。道徳は、こうした規範に照らして、ひとが「あれは俳句ではない」と言うように仕向ける。「俳句はこうあるべきだ」は否定としてしか働かない。

形式はたんに「この句はこうあるのだ」と告げる。形式は、俳句を限定することなしに、一句一句の区別をもたらす。この句の形式とあの句の形式がともに存在する。ひとの口を借りるまでもなく、形式はそれ自身において一句一句の本性をそのつど限りなく肯定する。

形式は服従とは何のかかわりもない。形式がかかわりをもつのは、個別的なものの本性に由来するものとしての自由である。

2017/11/1

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