2017年12月7日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞







大晦日定めなき世のさだめかな 井原西鶴

『三ケ津哥仙』(1682年)所収

宗因流の後継者といえばなんてったって西鶴。掲句はその代表作である。例によって和歌の無常観や『徒然草』の風俗描写などを下敷きに、当時の都市生活者の大晦日を詠んでる。

近世の町人は現金よりもツケ(掛け)でものを売買してた。「大晦日」はその年間貸借の総決算日だった。貨幣経済がもたらした都市生活の大きな特徴として、貸し借りの信用取引でもって生計をたてる習慣をあげることができる。太っ腹だ。

だから掲句は、〈なんの定めもない無常な浮き世にあって、大晦日だけは年間の貸借を総決算する定めの日である〉って感じ。それを受け、〈無常の浮き世を知る文学者の目と、無情な貨幣経済を認識する都市生活者の目が、ふたつながら活かされたケーザイ俳句〉と以前評したことがある。西鶴は晩年、浮世草子で「大晦日」の町人たちを描き、『世間胸算用』と題して板行。だから「ケーザイ俳句」というのもあながち間違ってはないと今でも思ってる。けど何んか足らない。

いうまでもなく当時の年齢は数え年であった。考えようによっては全員が1月1日をバースデーとするわけで、大晦日はその前日ということになる。めでたい……とばかりもいえない。なんせ人生50年という時代だ。アラフィフは言わずもがな、アラフォーの町人とて無常を感じずにはおれなかったろう。

果たして西鶴も52歳で病没したが、そこは西鶴、辞世の前書で〈人生50年、それさえ自分には十分すぎるのに、さらに2年も長生きしてしまった〉としたためた。太っ腹すぎる。(辞世については、いずれ西鶴忌の時節に)

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