2018年5月22日火曜日

〔ためしがき〕 ハルキゲニア 福田若之

〔ためしがき〕
ハルキゲニア

福田若之

イグアノドンの発見者であるギデオン・マンテルは、そのとがった親指の骨の化石を、角だと勘違いしていたという。

未知の生物の痕跡が誤読をひきおこすというのは、けっして不思議なことではない。たとえば、もしいま地上にいる生き物の大半が絶滅して、そのさらにずいぶん彼方に何かしらの考古学が興ったとして、蛙の足の指は正しく復元されるだろうか。前足が四本で、後ろ足が五本。つい揃えたくなってしまうなんてことも、あるのではないかと思う。

ここに、より極端な例がある。カンブリア紀に生息していたバージェス動物群の一種として知られるハルキゲニアだ。発見当時の復元図は、この世のものとは思われない、とても奇妙なものだった。それは、謎そのものが代謝する身体として生を受けたかのような姿だった。それはもしかすると生命の神秘にまつわる古生物学者たちの夢を体現するものだったのかもしれない。けれど、それは勘違いだったのだ。二列に並んだ背中の硬い突起と、腹部から生えている複数の柔らかい足とが逆になっていた。口と肛門も逆だった。つまり、上下と前後がまちがっていたのだ。肛門だと思われていたあたりに歯とふたつの目が見つかって、復元図はすっかり生き物らしくなった。形質的にみて、かぎむしに近い生き物だったらしい。

上下を勘違いするというのは絵画でも例のある話で、1961年にはニューヨーク近代美術館でアンリ・マティス『舟』(1958年)が47日間上下逆に展示されていたということがあった。パリのマルモッタン美術館が所蔵しているクロード・モネの睡蓮を描いた一枚も、長いあいだ上下逆に展示されていたという。モネの睡蓮の絵は、上下逆にして見てみると、岸辺の草が水に映っているようすがなにやら奇妙で、いまにして見ると、どうしてそれほど長いあいだ勘違いされていたのか不思議なくらいだ。けれど、さかさまの絵に感じられる夢のような奇妙さが、かえって、ひとびとの無意識を惹きつけてしまっていたということもありそうな話ではある。ハルキゲニアのことを思えば、なおさらだ。

ハルキゲニアの名は、英語のhallutination(幻覚)にも通じるラテン語のhalucinatioに由来するという。ジミ・ヘンドリックスのストラトキャスター。さかさまは幻覚的だ、とりわけ、さかさまになって歩くことは。
そのまま、いつのまにか、さかさまになって、さかさまの町をあるいていた。ちょうど蠅が天井を歩くように、足がぺったりと天井に――いや、地面にすいつき、さかさまにぶらさがった一郎の頭のずーっと下の方に空がひろがっている。やたらに窓の多い、七色ににぶくひかる家々が、やっぱり下へむけてつき立っている見知らぬ街をあるいているのだ。
(天沢退二郎『光車よ、まわれ!』、ポプラ社、2010年、57頁。原文では「蠅」に「はえ」、「天井」に「てんじょう」とルビ)
2018/5/22

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