2019年9月7日土曜日

●土曜日の読書〔お菓子の記憶〕小津夜景



小津夜景








お菓子の記憶

週末、なんのまえぶれもなく、家人がフレンチ・クレオール・ラムを買ってきた。

出会って四半世紀、そんなものを買ってきたことは一度もない。いったいなにがあったのか。私がおどろいていると家人は台所へ行き、戸棚からボウルを出し、ボウルの中にアーモンド粉、卵黄、砂糖、バター、フレンチ・クレオール・ラムを入れて、少量の小麦粉で固さを調節しつつこねこねとアーモンド餡をこしらえた。それから、パイ皿に敷いたパイ生地の上に、大きなスプーンをつかってアーモンド餡をならし、別のパイ生地を餡の上にかぶせ、180度に温めたオーブンに入れてガレット・デ・ロワを焼き出したのだった。

「いきなりどうしたの」
「職場の同僚がレシピを教えてくれたんだよね。つきあい上、やってみないわけにいかないと思って」

同僚の話を聞いているうちにパイが焼きあがる。パイ生地のふちを折り込まなかったので野人の料理っぽい。少し可愛くしようとアピルコのケーキ皿に取り分け、カイ・ボイスンのフォークを添えたら、とりあえずぽてっとした素朴な見た目に落ち着いた。

「どう?」
「ん。おいしい」
「よかった」

私はもともと甘いものが苦手で、子供のころは口にすると頭が痛くなって寝込んでしまうほど体質に合わなかった。ひとなみに食べられるようになったのは二十歳もこえてだいぶたってからで、今では「甘いもの=人生」といって差し支えないほどに馴染んだものの、それでも沢山は食べられない。そしてその分、箱や包装紙、ラベルやリボンなどお菓子屋さんの紙もの布ものを眺めて、あの時はおいしかったなあと甘い思い出にふけっている。
その軍医は非常な甘い物好きで、始終胃をわるくして居た。所謂医者の不養生であつた。ふねが港にはいると、取りあへず其処の名物の菓子を買つて来た。さうしてそれを眺め、それを味ひ、それから一々丁寧にそれを写生した。絵の巧い人で、絵の具をさして実物大に写生した。それだけの写生帖があつて、時と所と菓子の名前と、さうして目方と価とが記された。永年のことで、菓子の種類は夥しい数に上つた。静かな航海中、用の無い時は独りその写生帳を取り出し、その美しい色や形を眺め、その味ひを思ひ出して楽しんだ。(岩本素白「菓子の譜」『素白先生の散歩』みすず書房)
岩本素白「菓子の譜」にはこの軍医の話に影響されて、菓子好きの著者が少年のころに始めた遊びのことが綴ってある。どんな遊びかというと、折や箱に貼ってある商標ラベルや 添えられている小箋、包装紙の絵画詩歌で気に入ったものだけを布貼りの菓子折に入れておき、折々に取り出しては丹念に眺めるのである。「柚餅子のやうな菓子」の鉄斎の画。「柿羊羹を台にした菓子」の石埭の詩と墨絵。新潟銘菓「越の雪」の銅版画。砂糖が不自由になった時代は、菓子好きの集まりでそれらを披露し、ご馳走の記憶を皆で分かち合ったこともあるそうだ。


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