樋口由紀子
眼をとぢると家鴨が今日も歩いてる
堀豊次 (ほり・とよじ) 1913~2007
家鴨の歩く姿は愛嬌があり、のんびりしている。見ている方もゆったりとした気分になる。しかし、「眼をとぢると」である。ということは、眼をあけているときは家鴨の姿は見えないことになる。家鴨は眼をとじなければ見えない。
眼をあけているときは忙しくて、あるいは雑多なものが邪魔をして見ることができないのだろうか。しかし、眼をとじると今日も無事に家鴨はいつも通りに歩いているのが見える。だから、安心して、また眼をあけることができ、日常をつつがなく遣り過すことができる。眼を開けているときは現実社会、眼を閉じているときは心象風景なのだろうか。どちらも自分であることには違いない。精神の表裏のようである。
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