相子智恵
老い母のもたぬくらがり実の芙蓉 上田睦子
老い母のもたぬくらがり実の芙蓉 上田睦子
句文集『時がうねる』(2021.5 ふらんす堂)所載
老いた母は、暗がりをもたない。なんと、美しく哀しい明るさであろうか。
おそらく老いた母は認知症なのだろう。〈もたぬくらがり〉と書けるまでには、介護する側にも、様々な葛藤や苛立ちもあったのではないか。その上澄みの〈もたぬくらがり〉を掬い取るまでの、「暗がり」の時間を思う。
季語〈実の芙蓉〉によって、掲句は神々しいまでの光の中にある。芙蓉の美しく大きな花が咲いたあとの実は、ぽわぽわと白い毛が生えた雪洞のようで、それが〈老い母のもたぬくらがり〉と美しく響きあうのだ。芙蓉の実は目の前の自然であり母の象徴のようでもあり、これほどまでの取り合わせにはなかなか出あえない。Mの音とFの音の繰り返しからも、淡い光に包まれるようだ。
「芙蓉の実」ではなく「実の芙蓉」としたところに、実を見ていながら花へと心が向かう時間の遡りがある。同様に若き頃の母をどうしても思ってしまう、逡巡のようなものも見えてこようか。
掲句は1981年の「寒雷」に載った、第五回寒雷集賞受賞作の一句。散文を中心にまとめられた本書より引いた。
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