2021年12月22日水曜日

西鶴ざんまい #19 浅沼璞


西鶴ざんまい #19
 
浅沼璞
 

 化物の声聞け梅を誰折ると       西鶴(裏一句目)
水紅(くれなゐ)にぬるむ明き寺    仝(裏二句目)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
 
 
 
「梅」に「水温む」で春の付合。

「紅」は自註に「池水を血になし」(後述)とあるので、「化物」つながりで血の池地獄のイメージでしょう。
 
句意は「庭の池の水が血の紅の如く温む、そんな空き寺だ」といった感じ。

自註末尾には、「此の句は、前の作り事を有り事にして付け寄せける」とあります。
 
つまり、梅の枝を折った坊ちゃまの躾のために下女が「化物」に扮するという「作り事」を、現実の「有り事」として見立て替え、化物の出没にふさわしい「其の場」の付けをしているわけです。


では自註をみましょう。

「野寺(のでら)に久しき狐狸のさまざまに形をやつし、亭坊(ていばう)をたぶらかし、柳を逆さまに、池水を血になし、出家心(しゆつけごころ)にもここに住みかね、立ちのけば、後住(ごぢゆう)もなくて、おのづからあれたる地とぞなりぬ」

で、先に引いた末尾の一節が続きます。

語句をたどるとーー「やつし」は変化(へんげ)、「亭坊」は亭主の坊主(住職)、「柳を逆さま」は逆髪(さかがみ)の化物のイメージ、「出家心」は俗心を絶った心もち。
 
されば狐狸の変化がために、世捨て人の住職すら住みつかず、荒れ寺になったという設定です。


では最終テキストにいたる過程を想定してみましょう。

亭坊たぶらかしたる野寺 〔第1形態〕
    ↓
 亭坊もなき水ぬるむ寺  〔第2形態〕
    ↓
 水紅にぬるむ明き寺   〔最終形態〕

このように最終形態は「亭坊」の《抜け》で、化物にふさわしい「其の場」を詠んだ疎句なわけです。


「んー、こまい事いうようやけどな、自註の『柳を逆さま』には逆髪のお化けだけやのうて、春の柳の風情もこめとるんやで」

あー、鶴翁ばりに《抜け》てしまったみたいです。

「なんや、わての影響かい」

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