銅樋の軒わらひ捨て 打越
神鳴や世の費なる落所 前句
神鳴や世の費なる落所 前句
勧進能の日数ふり行 付句(通算42句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
*作の面(さくのめん)=名工の作面。
【意訳】「名工の作面をかけ、道成寺モノを興行する日は、きっと雨が降る」と昔から世間に申し伝えている。総じてどこの家元にても、興行能を催すときは、たいてい雨が降って難儀することが多い。前句の「火神鳴」を「水神鳴」の大雨に取成してこの句を付け寄せたもので、なんの俳諧的作意もなく、遣句ふうの軽い付け方である。
【三工程】
(前句)神鳴や世の費なる落所
【付句】二ノ折、裏六句目。雑。 勧進能=寺院建立・補修等の寄付を募る能。晴天三日から四日にわたって興行する。 ふり行(ゆく)=「経りゆく」、経過する。「降りゆく」にも掛ける。
【句意】勧進能の開催日、雨が降って過ぎていく。
【付け・転じ】打越・前句=銅樋に落ちた火神鳴(日雷)への迷惑感情による付け。前句・付句=前句の火神鳴を水神鳴(みづかみなり)に取成しての転じ。
【自註】「作の面*を掛て道成寺*をする日は、かならず雨の事」とむかしより俗に申(まうし)伝へし。惣じていづれの太夫(たいふ)にても、勧進能取立(とりたて)し節は、大かた雨のふりて、難儀多し。前句の「神鳴」を大雨にして此(この)句付寄せ、何の俳作もなく、行かた*計(ばかり)の付かた也。
【句意】勧進能の開催日、雨が降って過ぎていく。
【付け・転じ】打越・前句=銅樋に落ちた火神鳴(日雷)への迷惑感情による付け。前句・付句=前句の火神鳴を水神鳴(みづかみなり)に取成しての転じ。
【自註】「作の面*を掛て道成寺*をする日は、かならず雨の事」とむかしより俗に申(まうし)伝へし。惣じていづれの太夫(たいふ)にても、勧進能取立(とりたて)し節は、大かた雨のふりて、難儀多し。前句の「神鳴」を大雨にして此(この)句付寄せ、何の俳作もなく、行かた*計(ばかり)の付かた也。
*作の面(さくのめん)=名工の作面。
*道成寺=驟雨(ニハカアメ)―道成寺の能(類船集)
*行かた=遣句(やりく)ふうの軽い付。ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 西鶴ざんまい #38 浅沼璞
*行かた=遣句(やりく)ふうの軽い付。ウラハイ = 裏「週刊俳句」: 西鶴ざんまい #38 浅沼璞
【意訳】「名工の作面をかけ、道成寺モノを興行する日は、きっと雨が降る」と昔から世間に申し伝えている。総じてどこの家元にても、興行能を催すときは、たいてい雨が降って難儀することが多い。前句の「火神鳴」を「水神鳴」の大雨に取成してこの句を付け寄せたもので、なんの俳諧的作意もなく、遣句ふうの軽い付け方である。
【三工程】
(前句)神鳴や世の費なる落所
大雨にして難儀多かれ 〔見込〕
↓
↓
大雨つゞく道成寺の能 〔趣向〕
↓
勧進能の日数ふり行 〔句作〕
火神鳴を水神鳴に取成し〔見込〕、どんな難儀があるかと問いながら、驟雨(ニハカアメ)―道成寺の能(類船集)の寄合に着目し〔趣向〕、勧進能の日数を詠んだ〔句作〕。
「そや、江戸から参った大尽客なんぞ、桟敷を二軒とってな、調理場や茶室まで設けてな、桟敷の下には仮設の湯殿や厠かてな……」
↓
勧進能の日数ふり行 〔句作〕
火神鳴を水神鳴に取成し〔見込〕、どんな難儀があるかと問いながら、驟雨(ニハカアメ)―道成寺の能(類船集)の寄合に着目し〔趣向〕、勧進能の日数を詠んだ〔句作〕。
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そういえば『世間胸算用』に、勧進能の観客の大げさな描写がありましたね。
「そや、江戸から参った大尽客なんぞ、桟敷を二軒とってな、調理場や茶室まで設けてな、桟敷の下には仮設の湯殿や厠かてな……」
……なんか上沼E子の暴走トークみたいですね。
「なんや、そなたの時代でも転合口(てんごうぐち)たたくお人が居るんかい」
はい、やはり上方の芸人さんでして。
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