2026年1月7日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #88

 

西鶴ざんまい #88
 
浅沼璞
 

  朝食過の櫃川の橋      打越
 老の浪子ないものと立詫て   前句
  儒の眼より妾女追出す    付句(通算70句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏6句目。  恋=妾女(てかけ)。めかけ。  儒の眼(じゆのまなこ)=儒教的な見地。  ※〈上の儒の音に応対して、セウヂョと訓むのではあるまいか〉(訳註西鶴全集)

【句意】
儒教的な見方によって(子のできない)妾を家から追い出す。
※当時は独身でも妾を雇った。〈独り寝覚のさびしきに、此の夏より妾女を尋ねける〉(武道伝来記)。

【付け・転じ】
前句の老いた乞食を、妾女を雇う親爺に見替え、その不妊を詫びる態として転じた。

【自註】
年ひさしく*道者㒵して見台に眼をさらし、儒書の**口談などして、中/\物がたき親仁、「子孫のなき事、***先生のをしへに叶はず」迚(とて)、子のない姿を見定め、ひとりの女を暇(いとま)遣はしける付けかた也。

*道者㒵(みちしやがほ)=専門家のような顔付。  **口談(こうだん)=〈「講談」の誤か〉(定本西鶴全集)。  ***先生=〈「先聖」の誤か〉(定本西鶴全集)。

【意訳】
年月久しく専門家ヅラして書見台を控え、儒教本の講談などして、なかなか厳格な親爺、「子孫のないことは先達の教えにかなわない」とて、子ができない様子を見極め、ひとりの妾に暇を出した付け方である。

【三工程】
(前句)老の浪子ないものと立詫て

  道者㒵して妾女見定め  〔見込〕
     ↓
  儒書の教へに叶はぬ妾女 〔趣向〕
     ↓
  儒の眼より妾女追出す   〔句作〕

前句の老いた乞食を、妾女を雇う親爺に見替え、その女を見定めているとし〔見込〕、〈妾女の不妊をどのように考えているか〉と問うて、「儒の教えに則さない」とし〔趣向〕、儒教的見地から「妾に暇をやる」とした〔句作〕。

 

これまでの自註でも〈かたい親仁〉というのが何回か出てきましたね。

「そうやったか、またよう調べはるな」

はい、オモテ8句目〈子供に懲らす窓の雪の夜〉の自註にはスパルタ教育をする「かたい親仁」、つまり厳格な教育パパ(意訳では「親父」)が登場。

二ウラ3句目〈和七賢仲間あそびの豊か也〉の自註では唐土の「かたい親仁ども」、つまり中国の厳格な賢人(意訳では「親爺」)たちが描かれています。

「そうか、知らんうちに作者の人柄がでてしまうんやな」

えっ? 厳格、ですか……。

 

2025年12月30日火曜日

★2026年 新年詠 大募集

2026年 新年詠 大募集


新年詠を募集いたします。

おひとりさま 一句  (多行形式ナシ)

簡単なプロフィールを添えてください。

※プロフィールの表記・体裁は既存の「後記+プロフィール」に揃えていただけると幸いです。

投句期間 2026年11日(木)0:00~13日(土)20:00
※年の明ける前に投句するのはナシで、お願いします。

〔投句先メールアドレスは、以下のページに〕
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/04/blog-post_6811.html

2025年12月19日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕樋口由紀子



樋口由紀子





アフリカの王ならくよくよはしない

樋口由紀子(ひぐち・ゆきこ)1953~

自分で書いておきながら、なんと無責任な川柳だと思う。「王」ともなれば、「民」の域を大きく超えて、重大な責務をかかえ、くよくよすることも多岐にわたっているはずである。若干の皮肉もあるが、「アフリカ」の広大さに、何ごとにもこだわらない大らかさを優先した。

今年は私にとってたいへんな一年だった。くよくよすることがいっぱいあった。人間だから、生きているのだからくよくよするのはあたりまえだが、それにしても人生が一変した。なんとか遣り過すことはできたが、来年はどうなるかは神のみぞ知るである。しかし、なるようにならないのなら、もう開き直って「アフリカの王」にシンパシーを抱くしかない。『容顔』(1999年刊 詩遊社)所収。

2025年12月17日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #87

 

西鶴ざんまい #87
 
浅沼璞
 

  其道を右が伏見と慟キける   打越
   朝食過の櫃川の橋      前句
  老の浪子ないものと立詫て   付句(通算69句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏5句目。  雑。  立詫て(たちわびて)=述懐。
波―川(類船集)。  乞食(コツジキ)―橋の辺(類船集)。

【句意】
「老いの波を受け、(世話になるべき)子どもすらないものを」と悲嘆に暮れて(物乞いをしている)。

【付け・転じ】
前句の旅の朝景色に、老いた乞食の述懐を描出した転じ。

【自註】
世間の「食過(めしすぎ)」を請けて、此の句は袖乞(そでごひ)に仕立てたる付けかたなり。櫃川の*よせに「老の波」と出し、年寄たる者に子ない身の行すゑをなげきし有様を一句に仕立つ。**世の人心、捨てかねたる命ぞつらし。

*よせ=付寄せ。  **世の人心(ひとごゝろ)=遺稿集『西鶴織留』(1694年)の副題。

【意訳】
世の「食事時を過ぎた頃」を受け、この句は(「食」つながりで)乞食に仕立てた付け方である。櫃川(という水辺)の付け寄せに「老の波」と出し、老いて子のない人の、身の行末を嘆いた有様を一句に仕立てた。世間の人の心(を思うに)、死なれぬ命ほどつらいものはない。

【三工程】
(前句)朝食過の櫃川の橋

  袖乞の身の行末を嘆いては  〔見込〕
     ↓
  袖乞の子なく老いしと立詫て  〔趣向〕
     ↓
  老の浪子ないものと立詫て  〔句作〕

朝食過ぎの橋のたもとに乞食の嘆きを見出し〔見込〕、〈どのような悲嘆か〉と問うて、「子もないままに老いて」と物乞いの科白とし〔趣向〕、水辺の付として「浪」の一字を加え、さらに「袖乞」の抜けとした〔句作〕。

〈捨てかねたる命ぞつらし〉は晩年の西鶴的表現かと思うんですが。胸算用にも〈貧にては死なれぬものぞかし〉とありましたよね。

「あるけどな、晩年になってからやないで。一代男でもな、北のサカタいう港のな、夜鷹を描いてな、〈死なれぬ命のつれなくて〉と筆をふるったオボエがあるで」

ちょっと待ってください、一代男、山形の酒田……巻三の六にありますね。ああ、ここだ、〈我が子を母親に抱かせ、姉は妹を先に立て、伯父・姪・伯母の分かちもなく、死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき事ども、聞くになほ不憫なる世や〉。
「それそれ、夜鷹の家族を描いたんやで」

なるほど、一代男からのテーマだったんですね。

 

2025年12月12日金曜日

●金曜日の川柳〔松永千秋〕樋口由紀子



樋口由紀子





どうしても容器の口が広すぎる

松永千秋(まつなが・ちあき)1949~

容器の口が狭すぎて、モノが入らないので困ったというのはよくあることだが、ここでは「広すぎる」。容器自体が大きいのではなく、「容器の口が広すぎる」。大は小を兼ねるのはすべてもものに通じない。

すぐの思いつくのは壺や花瓶である。大きな壺のほとんどはその大きさに比例して口も広い。これほど花を活けるのに不都合なことはない。花を多く活けるか、あるいは叉木をしなければ、花は倒れてしまう。「あちらを立てればこちらが立たず」「とかくこの世は住みにくい」。「どうしても」を「どうにかして」、辻褄を合わせるのが、生活していくということだろう。『What's』第9号(2025年刊)収録。