書架に『解説 百人一首』が
中嶋憲武
午前中、自転車散歩がてら池袋まで。ふらふらと吸い込まれるように、ジュンク堂へ。
まず、トイレを借りる。大のほう。すっきりとして、本を物色。学習参考書(笑)のコーナーで、山川出版の「日本史B」「世界史B」立ち読み。だいぶ、歴史が増えている。そりゃそうだ。大学受験のころから、かれこれ四半世紀も経ってしまっているのだから。いずれ、購入することになるだろう。今日はやめとく。吉川弘文館の「日本史年表・地図」をゲット。
古典の棚をぼーっと見ていると、な、なんと引越の折々にどっかへ行ってしまった「解説百人一首」が、ズラリと並んでいるのを発見。きゃー。
この本はねえ、おかあさん(外国のミュージシャンが、mama、と歌うような感じで)、高校受験のころ、ある人に薦められて買って、参考書なのに、ひどく面白かった本なんすよ。
『解説 百人一首』橋本武
表紙がカラフルでサイケなイラストで、口絵もカラフルなイラスト。なかは見開き2ページに、一首ずつの解説とイラストが載っていて、初版が昭和49年なもんで、イラストにその時代背景のようなものが、色濃く宿っていて、いま見るとまた違った面白さがあります。解説も解説というより、著者の思い入れたっぷりで、才気走った文章です。
例えば、いちばん最初の、天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」のイラストは、草の庵のなかで、巨大なきりぎりすと衣冠束帯の人が、向き合って賭けトランプをしている構図。きりぎりすはトランプと札とコーヒーを持って、勝っているらしく、にこにこ笑ってるし。
僧正遍昭の「天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」では、風神の担いでいる袋から、一陣の風。となりに立つ十二単のおとめが、まくれ上がる裾を、両手で押さえている構図。
素性法師の「いまこむといひしばかりに長月のありあけの月を待ちいでつるかな」では、十二単の少女が、寝転がって三日月を愛でつつ、サントリーオールドらしきダルマの瓶をあけてしまっていて、そばに缶ビールの空き缶やら、タロットカードやら、本が数冊散らばっている。本は少年マガジンや少女フレンド、青葉繁れるなんてタイトルも見える。その少女のセリフにはこう書かれてある。
「とうとうオールド一本と トマトジュース半ダースあけて 少年マガジンと少女フレンドと野坂昭如と井上ひさしと宇能鴻一郎を読んで タロット占いを十五回もやった。 バカみたい お月さま よかったら今夜通ってこない? あいつなんかどうでもいいのだ」
そもそも、百人一首とのつきあいのはじめは、小学校低学年のころ、母のグループの間で、なぜか百人一首が流行って、家へ帰れば毎日そのグループが来ていて、部屋でひとりでいても、かるたを読み上げる声は自然に耳に入ってくるし、たまには中に入って一緒にかるたをやったりしてて、小学校二年のころには意味も分からず、待賢門院堀川の「長からむ心もしらず黒髪のみだれてけさは物をこそ思へ」を愛誦していた。
それから数十年経て、二十代の終わりに大学時代の友人とその友人知人で集まる機会が何度かあり、そこでたまたま百人一首をやったことがあり、暗記していたわけでは無いのだが、下の句がすっと出てきて何枚も取って、一番は友人の友人の女性だったが、二番めになった。その時、「何にも出来ないくせに、百人一首だけはよく出来る」と、驚かれたものだ。
まあ、そんなわけなので、すごい勢いで書棚へ腕を伸ばし、買っちゃったのだ。
夜は、昨日通りかかって気になっていた、阿佐ヶ谷はスターロード入り口近くの「よるのひるね」という喫茶店へ行き、昼間買った愛しき『解説 百人一首』を珈琲飲みながら読み返す至福のひとときを過ごす。
みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ 中納言兼輔
あー、コリャコリャ。
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2008年11月9日日曜日
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