羽田野 令
自涜と枯れた花にわずかに慰められる (涜は正字)
破廉恥な生活のわたしの天体
(吉岡実特集『生物』から「犬の肖像」より)
という二行の引用を冒頭に置く、「蛮童あるいは桃のための断章」と題された大本義幸の文章がある。(「天敵」1974年4月)
夭折詩人の系譜という特集の中にあり、<夭折俳人・芝不器男論ではなく>という副題がついている。それは次のように始まる。
うつうつとした二十歳を数カ月ばかりすぎた頃、わたしは失業の一年弱をすごさなければならなくなり、ポール・ニザン、村山槐多、奥浩平、李珍宇、ランボー、ロートレアモン等に魅せられつつ、たれにも逢わない四畳半の密室での生活を十か月ばかりすごした。たまたま吉岡実の詩篇をすこしばかり読みはじめていたとき、なぜか再度の婦女暴行により逮捕され、まだ未決房に居た男との短かい文面のやりとりが始まった。全文の三分の一ほどは激しくかき消されている非常にリビドーの昂いものであたが、彼が十三余年の実刑を云い渡され余所へ移った頃、わたしもまた東京を去ることになったのでその後の文面のやりとりはない。
ほどんど童貞であったわたしは、狭い室に充満する自らの精液の匂いと、蛇口からときおりこぼれる水滴の音に囲まれていた。この文章は大江健三郎のいくつかの小説の主人公の像を彷佛とさせると思うのは、同じ松山出身という先入観があるからなのか。若き日の孤独と暗鬱とを、未決囚という世間の埒外に居る者を登場させて語るのが如何にも小説的だからなのか。
食堂で時おり読む新聞に、若い男女が貧しくつつましやかに四畳半で同棲中、ガスの不完全燃焼による中毒死などをし、テレビの音が低くうなりつつ一週間も鳴りつづけていたという記事にはげしく嫉妬した。
かもめとぶ潰れた胸を野犬と頒つ
「生きるは悪か」口中深く葡萄つめ
第一章「非(あらず)」から引いた二句(「非(あらず)」の章は、1973年の句集『非』より抄出)。
今、文章と句とどちらもを読んでいる私を、これらの句と大本氏の文章が二重になって取り巻く。
文章はそのあと、アデンに着いたハイジャッカー達について、彼等は「みずからの肉体をひとつの言語(メッセージ)とし」ていると書く。そして、
この言語と肉体の関絡性は夭折者を巡るわたしの関心事のひとつであり、夭折圏を追放されて生きながらえている現在でも<言語>と<肉体>の関係性はわたしを魅惑する。言語と肉体の背反のうちに個我の言語でも肉体の言語でもないものが白色の冥(やみ)と化し匂いたっているかに想えるので……。この冥を時代とも状況とも、言語がまき込んでゆく肉体の罪過とも云えるだろうが、いまのわたしには語る用意がない。と続く。ここで書かれている「個我の言語」とは自己表現の言葉のことであり、「肉体の言語」とは所謂言語表現ではなく、メッセージとしての行為そのもののことを指している。社会的な状況に対する自己を問うことから、言葉と行動というようなことは七十年代によく行われた議論であるが、大本氏のこれは「個我の言語」への懐疑であり、言葉とは何かという自らへの問いを含むものである。
端的に言えば七十年代は、肉体の言語派からは文学的言語が否定的に見られた時期であり、「個我の言語」に沈潜することを良しとせず、多くの文学少年少女が文学から離れた時代でもある。その中で個人的な四畳半の空間の中で生み落とされる言葉を、個我の言語でも肉体の言語でもない「白色の冥」を想定することによって、「個我の言語」の置きどころを見いだしていた大本義幸が浮かぶ。
海百合の朱(しゆ)を蔵(しま)ひおくわれら残党 第一章「非(あらず)」より
残党、それは何の残党であるかあきらかではないが、服(まつろ)わぬ者の裔には違いない。坪内稔典(『朝の岸』1973年)に次の句があるが、同じ空気がある。
父祖は海賊島の鬼百合蜜に充ち
風花 突風 ぼくらは地下で火種継ぐ
(つづく)
〔参照〕 高山れおな 少年はいつもそう 大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む ―俳句空間―豈weekly 第11号
〔Amazon〕 『硝子器に春の影みち』
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3 件のコメント:
うん。今回もいいよ。
いくらウラハイでも黒地に書き込んだ文字が読みにくくて苦労しますが。(コメント欄ではちゃんと読めますけど)。
吉岡実。坪内稔典初期。大本さんが関心を寄せた70年代ハイジャッカーの精神性(肉体がひとつの言語、メッセージであること)に、令さん自体の偏見のない分析の筆先がとどいていて、好感をもちます。
大本さんの句集は今年の問題作だと思うのです。いろんなテーマが萌芽しています。坪内さんや、摂津さんが、自分のスタイルを完成してしまったので、そういう同時代精神が、沈んでしまいましたね。表現史を支える、時代精神、というか。そこに、令さんが、すこしづつはいりこんでいるのが、興味深いです。 しかし、面白い生の実践者ですよね、この方。摂津さんが「おおもっちゃん」を大事にされた心がわかります。
令さんの柔らかな、感受性や関心がひきよせているものは、戦中派がになった戦後俳句の次の戦後。この世代は、アラブ湾岸戦争という現在も続行中の戦争の始まりの体験者です。
そう言う時代に触れる「文学」=「生の思想の文体」でしょう。
5回、といわずに、時間を掛けて、一句づつ読みほぐしてくださいな。
吟さま
>5回、といわずに、時間を掛けて、一句づつ読みほぐしてくださいな。
ありがとうございます。5回といわずに、続けたい気もしているのですが、このシリーズは野口裕さんのから数えると10回ということになるので……。
>時代に触れる「文学」
ということで言えば、もちろんどの時代にもその時代の中から出てくるものですから時代というものを反映するものではあると思うのですが、私に限っていえば、70年前後の時代は時代の空気をどこにも感じる時代だったのですが、それ以後は一つの空気としての時代を感じ取れていません。そういう“うねり”のようなものに乏しいということが時代性なのでしょうが。諸々の出来事が、大きな事であっても、それぞれのあるひとつの事としてしか存在しない時代なのかもしれません。
それにしても『硝子器に春の影みち』は、いいなあと思う句がたくさんあります。
そうですね。表現作品については、「いいなあ」と思わせる。この感じ、がほしいですね。人によってそれぞれちがうの所があるのは、事実ですが。
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