驢馬餓死譚(上)
野口 裕
ブリダンの驢馬という話がある。極端に腹が減り、同じぐらい喉の乾いた状態にした驢馬の片側にたっぷりの餌、反対側にたっぷりの水を置いたとき、驢馬は最初に餌を食うべきか水を飲むべきか迷って、ついには餓死してしまうというのである。スピノザが中世のスコラ哲学者ブリダンが言った話として紹介している。花田清輝なども『復興期の精神』で引用していたはずだ。
ところが、ブリダンという人の著作集を調べる限り、この話は載っていない。かなり昔に青木靖三の本、たしか『ガリレイの道』(平凡社1980)、を読んだときにそのように書いてあった。青木靖三によると、ブリダンはスコラ哲学から近代科学への道のりを考えるときに重要な橋渡しを担った人らしい。
当時、神はどのようにこの世界を作っているか、で論争があった。神はことあるごとに奇蹟を行う、という立場の論者と、神は天地創造の時のみに奇蹟を行ったという立場の論者があり、ブリダンは後者の立場の論者だったようだ。
ブリダンのような立場の人は、神が作った世界が不完全であるはずがない。しばしば奇蹟を行うということは、作った世界が不完全だったということになる。そのようなことをするわけがない。天地創造のときに、作った世界が完全であるように完璧な設計をしたはずだ、と考える。そして、天地創造の瞬間のみにはたらいた神の作為を「神の一撃」と表現した。
阪神淡路大震災のおりに起こった地震を、和田悟朗は、
寒暁や神の一撃もて明くる
と詠んだ。そんなことも思い起こされる。余談。
神が天地創造の時のみに奇蹟をはたらいたのなら、この世に起こる出来事はすべて完璧に計算されているはずだ。では、神がどのような計算をしたのか、この世の出来事を注意深く観察すればすべてが明らかになるはず。と、いうような論理構成で科学への道が開ける。
もし、しばしば神が奇蹟を行うなら、そこに神の計算ははたらいておらず、世の出来事を観察しても何も分からないことになる。それでは科学は成立しない。このようにして、ブリダンの議論は科学への道を用意した。ケプラーが占星術師であったり、ニュートンが錬金術を研究したのも、科学の成立事情を鑑みればそれほど不思議ではない。
ブリダンの功績は以上のようなものだが、いつの間にかそうしたことは忘れられて、ブリダンの驢馬だけが後世に残ったようだ。しかし、いつどのような文脈で言ったのかは、専門家が調べても分からない。言ったかどうかさえはっきりしない。後世の我々は、彼が言った、言わない、の間でそれこそ驢馬のように迷うだけである。
以上のような文章を書いてみたが、書いているうちに、なぜブリダンの驢馬を思い出したかを忘れていた。書き終わって、思い出した。ノーベル物理学賞を受けた南部洋一郎の業績、「自発的対称性の破れ」である。
(明日につづく)
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2008年12月28日日曜日
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