2009年1月6日火曜日

●猫も歩けば類句に当る 第1回 猫髭

猫も歩けば類句に当る
第1回

猫髭


以前「俳誌を読む」でも取り上げたが、和歌・連俳用語で等類(同類とも言い、先人の句と表現の要点が相似している場合を言う)・同巣(同竈とも言い、先人の句と同じ趣向がある場合を言う)は、短詩型では起こりがちな現象なので、多くの歌論書・俳論書で枚挙に暇が無いほど取り上げられている。今の俳句で言うところの類想類句である。

わたくしも一字違いの句を吟行句会で出したことがある。もう何年も経っているのでうろ覚えだが、横浜赤煉瓦倉庫の避雷針と梅雨の前後だったため白南風を取り合わせた句だった。披講時に黒南風の句が読み上げられて、「あれ?オレ黒南風で詠んだっけ、白南風だったはずだが」といった「黒白」違いで首を捻った事があり、こうなると月並句となり、双方喧嘩両成敗で没とあいなった。あとで調べたら、季語だけ違って十二音は全く同じ句が佃煮が出来るほどぞろぞろ出て来た。

吟行では複数の俳人が同じ景を見て詠むわけだから、口は一つなのに目玉も耳も鼻も二つ穴が開いているせいか、似たような句が、見たり聞いたり嗅いだりして二穴から入り込むのは避けがたいと言えるが、ここに吟行に来る俳人たちは、恐らく累々と類想類句を詠み続けるのだろうなと思うと忸怩たるものがある。

まあ、俳歴片手以内の初心者と、俳歴足と手の指足しても足りないベテランがぶつかると、俳歴の短い方は「類想を怖れずに詠みなさい」と励まされるが、長い方は「こんな素人に毛の生えた五浪人(ごろうと)(註)と同じような句を玄人が詠んでるようではまだまだ修行が足りん」と腐されたりする違いはあるが、この前も人の句にオレんだと手を挙げて、え、ほとんど同じじゃんと驚いたから、吟行では、猫も歩けば類句に当る。益々もって月並調である。

波多野爽波は、類想類句を避けるには、「多作多捨」に加えて「多読多憶」にひたすら励むしかないと言ったが、然なり。

だが、同じ場所で同じ景を見て詠む吟行でない場合は、厄介である。

中原道夫という著名俳人がいる。どうも、わたくしはこの人の作品は先人の句を読んで、ええとこばっかパッチワークしているような気がするのだ。

  飛込の途中たましひ遅れけり  中原道夫

が最も有名な句らしいが、大正十年にこういう句が詠まれている。

  瀧をのぞく背をはなれゐる命かな  原石鼎

似てっぺ。

次いで有名なのが、

  白魚のさかなたること略しけり  中原道夫

というものであり、これも、

  白魚の小さき顔をもてりけり  原石鼎

を翻案しているような感じだっぺ。

たまたま、石鼎さんが好きでわたくしが覚えていて引っ掛かるだけの話かも知れないが、例えば、露出度では俳壇ナンバー・ワンワンワンの長谷川櫂の、

  谷底へ木々の折れこむ朧かな  長谷川櫂

なんてえのも、大正二年の、

  風呂の戸にせまりて谷の朧かな  原石鼎

という、朧の句と言えば「谷朧」という季語を作り出したような秀句と、

  谷杉の紺折り畳む霞かな  原石鼎

という中七が秀逸な霞の句を足して、二で割って薄めたようだっぺ。

これらは先人の句に対する本句取りなのだろうか、あるいはオマージュなのだろうか。中原道夫は機知の切れ味のオリジナリティを称賛され、長谷川櫂は伝統的な王道俳句の継承者と言われるが、いかがなもんだっぺ。



(註)素人→四浪人、玄人→九浪人の洒落で素人に毛の生えて五浪人。玄人になるまでには六浪人、七浪人、八浪人(柿人)あるというわけで、素人未満は桃栗三年で桃人・栗人が三浪人。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

たましひに遅れていのち泳ぎけり  角川春樹 『JAPAN』2005年8月

という句もあります。飛び込んだ、その続編?

私は、わりあい「どっちの句も併存でいいのでは?」と思うことが多いです(猫髭さんの掲げられた句を含め)。

意識して本歌取りの場合、元にした句も併記してほしいですが。



余談。週刊俳句第第75号で10句掲載させてもらったそのなかに、

  ねむは実に汽船は沖に永らへて 

という句があるんですが、これ、とうぜん、

汽車よりも汽船長生き春の沖(三橋敏雄)

へのオマージュ。その前号・第74号に池田澄子の10句があったので、挨拶というか、それで作ったのですが、その事情(オマージュ)が読んだ人に伝わってない場合、まずいなあ、と。

やっぱりこの句には「前書き」(homage to~とか)が必要だったと、ちょっと悔やんでいます。

匿名 さんのコメント...

>やっぱりこの句には「前書き」(homage to~とか)が必要だったと、ちょっと悔やんでいます。

『畳の上』ですね。有名な句だから前書は必要ないと思います。澄子さんの句ではなく師匠の敏雄の句を引くところなど芸が細かい。

澄子さんへの挨拶句ですから、澄子さんにだけ届けばいいので、100%わかりますよ彼女は。澄子さんの句を読んでいると師へのオマージュが出て来ますから。句集『ゆく船』のかもめの絵も、師の選んだタイトルも句も、皆師へのオマージュです。

師がまた正直な人で、「私には、私ひとりの言葉というものはない」といちいちこの自作はこの俳人のこの句や、この詩人のこのフレーズに影響を受けていると「自作ノート」で細かく列挙する律儀さ。例えば。

  かもめ来よ天金の書をひらくたび 敏雄
  緑蔭に読みて天金をこぼしける 誓子

  鈴に入る玉こそよけれ春のくれ 敏雄
  海女とても陸こそよけれ桃の花 虚子

こういうのは、とてもほほえましい。一句としてオリジナリティを持つところも凄い。しかも、どんどん変化してゆくところも。伝統詩形を大切にして超えて行った得がたい天才の一人です。

匿名 さんのコメント...

天気さんのコメントで、40年前のことを思い出した。高校生の時、親父と日光の華厳の滝を見に行った時のこと。
華厳の滝は日本三大瀑布のひとつで、落差100メートル近い雄大な滝なのだが、自殺の名所でもあり、そのきっかけになったのが、明治36年、旧制一高生であった藤村操が、失恋して「巌頭之感」というハムレット気取りの遺書を木に書いて投身自殺したからだった。いまでも憶えてるから、よほどその時親父が諳んじたそのセリフが印象に残ったのだろう。名調子なのだ。こういうものだ。

【悠々たるかな天壊、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリチィーに値するものぞ。萬有の真相は唯一言にしてつくす。日く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。】

  瀧をのぞく背をはなれゐる命かな  原石鼎
  飛込の途中たましひ遅れけり  中原道夫

投身自殺を詠んだようだっぺ。

藤村操は死んじゃったから、「たましひに遅れていのち泳ぎけり 角川春樹」とは、続けて詠めないけどね。

当時、太宰治を読んで自殺する同級生が出たりして新聞を賑わしたのも思い出した。その時も藤村操の話が引かれたように記憶する。太宰治で自殺?「御伽草子」なんて抱腹絶倒のユーモア小説だったから、曰く「不可解」。

匿名 さんのコメント...

白状しますと、

 飛込の途中たましひ遅れけり  中原道夫

は、自殺(電車に飛び込む)と、思っていた期間があります(この句を知ってから数年間)。

中央線沿線に住んでいると、ね。
一時期、ほんと多かったんです。

匿名 さんのコメント...

>中央線沿線に住んでいると、ね。
一時期、ほんと多かったんです。

わたくしも恋ヶ窪に住んでいたので。
一時期多かったですね。
あ、また思い出した。

1970年代当時、NHKで漫画家の永島慎治原作の「黄色い涙」という、森本レオが主人公で、保倉幸恵という「週刊朝日」のモデルもやってた少女が、女優としてデビューして、少女から大人に変わる瞬間を生きてるような哀しい美しさに陶然となってましたが、蒲田駅の袴線橋から横須賀線に投身自殺してしまい、物凄いショックを受けました。実は彼女が大好きだったので、「少女フレンド」や「マーガレット」の彼女のカバー写真が欲しくて、妹たちに買う名目でわたくしが愛読していたのでした。

寺山修司の詩や短歌に出て来る少女は、わたくしは「黄色い涙」の彼女のイメージでずっと読んでましたね。合掌。