虹の被害
村田 篠
はつ-ゆめ【初夢】元日の夜に見る夢。また、正月二日の夜に見る夢。古くは、節分の夜から立春の明けがたに見る夢。(広辞苑)
最近、夜中に何度も目が覚めるようになってしまった。眠りが浅い。たぶん、自分で覚えているだけでも、一晩に最低3回は目が覚めている。でも一瞬後には、また浅い眠りに落ちている。それが何度も繰り返されるのが、私の「眠り」だ。
当然、「夢」は、眠りがとぎれるたびに分断される。でも、よくしたもので、最近ではそういう断続的な眠りに合わせて、分断された「夢」の続きを見ることができるようになった。続きなのだけれど、話が少し展開して動いている、というのがおもしろい。人間の脳というのは、すごいものだ。
夢の中で、もてなし下手の私が、パーティを催すことになった。会場は、どこかの古びた旅館の二階。窓枠がサッシではなくて、木の枠なのである……といっても、若い人には想像できないかもしれない。かつてはそういう家がたくさんあった。窓から外を見下ろすと、道を挟んで向かいも旅館で、同じような総二階の建物が、長屋のように道に面して建っている。
部屋の中は、もちろん畳。30畳くらいの大きさだ。昔風の家屋の特徴で、天井が低く少し圧迫感がある。そこに、コの字型に座布団を並べて、みんなでお酒を飲んでいる。なぜか、料理が並んでいるのではなく、いろんな種類のお酒だけがふんだんにある。ビール、ウィスキー、ワイン、ウォッカ……まるで昨年、飲み足りなかったといわんばかり。
そこに―夢の普遍的なパターンではあるが―私が知っているというつながりだけで、同席するはずのない人々が集っている。小学校卒業以来会っていない同級生、最近の友だち、テレビの中でしか見たことのない人……「夢」の中では、みんな知り合いみたいに話している。
さて、不思議なのはここからだ。たぶん一瞬の「目覚め」の後だろう、話が少し展開している。私は、仲のいい女友だちとふたりで、いつのまにか会場を抜け出して道を歩いている。ひなびた田舎だと思っていたが、旅館を出ると、そこは無味乾燥なビル街だ。街路樹は裸ん坊で、寒々としている。あたりが無人なのは、「お正月」だからなのだろうか。なんとなく辻褄が合っている。
歩いているうち、友だちがポツッといった。
「最近、コウガイが問題になってるの、知ってる?」
コウガイ? はて。公害、口蓋、口外、鉱害、梗概……。問題になっているって、なにが?
「今、見せてあげる」
と友だちはいうと、ズンズンと歩き出した。必死についていくと、彼女は突然立ち止まって指さした。
「これのことよ」
無人の寒々としたビル街の片隅。そこに、桜が咲いていた。ただの桜ではない。七色の桜だ。数本の桜に咲いた花が、まるで虹のように、一本一本少しずつ色調を変えながら、咲き誇っている。赤から紫へ。青い桜もある。これはすごい。
「これを、コウガイっていうのよ」
と女友だちはいった。
コウガイって……もしかして、「虹害」?
彼女はうなずくと、じつに不機嫌な顔になった。
「原因不明なんだって」
心の底から感嘆しながらその七色の桜を見つめているうち、目が覚めた。
「虹」を「コウ」とちゃんと読んでいるところが、ずいぶん理屈っぽいなあと思う。起きてからさっそく広辞苑で調べてみたが、「虹害」という言葉はもちろんなかった。
やれやれ、変な夢だった……と思いつつ新聞を広げると、1999年は、フロイトが『夢判断』を出版してからちょうど100年だという。フロイトなら、「七色の桜の夢」をなんと診断するのだろうか。「酒」に「桜」に「虹」。なんだか意味ありげ。なんとなく欲求不満の権化みたいにいわれそうな気もして、かなりいやな心持ちがするのは否めない。
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これは、10年前の日記に書き留めていた初夢の記録。今年も初夢をみたのだけれど、これがまた、ヴァンパイアの登場する夢だった。ヴァンパイアが世界中で増殖している。でも、ヴァンパイアになると、物事が高精度、高速度、高密度に見えるようになるという。なんだか、コピー機の性能みたいだ。ヴァンパイアはそのへんにふつうに生息していて、私と会話をしたりするのだけれど、「怖い」という意識は夢の中でもきちんとあって、その「怖さ」が、ちょっといい感じなのであった。
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2009年1月4日日曜日
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