2009年1月27日火曜日

●毛皮夫人プロファイリング〔1〕(下)上野葉月

毛皮夫人プロファイリング〔1〕
彼女はルネサンス絵画のマリア様のようなイタリア人である (下)

上野葉月

承前

駅ホームのイタリア人の集団の中、私の乗っている列車に最も近い側に明るい色の毛皮のコートを着た三十代半ばぐらいの女性が立っていた。列車の中からぼんや り彼らを眺めていた私とその毛皮夫人の目が合った。不思議なことに目が合った途端、音もなく列車が動き出した。そう、欧州では合図なしで列車が発車する。

毛皮夫人のマリア様のような顔にほとんど表情の変化はなかったが、黒い大きな瞳だけは「あら私に見惚れてたの、ボーヤ」といたずらっぽく微笑していた。イタリア女性には本当にルネサンス絵画のマリア様のような顔立ちの人が少なくない。

毛皮夫人の右手が口に移動しそれから優雅に海軍式敬礼のような軌跡を描いた。

投げキッス!!

あんまり上品な仕草だったので理解するのに数秒かかった。そもそも私は投げキッスが現実に存在する事象であることを知らなかった。そんなものはマンガのようなフィクションでしかお目にかかれないものだと思っていたのだ。

マ リア様のような毛皮夫人(もちろんあの毛皮夫人の名前が実際にマリアだった可能性は0%ではないが)。投げキッス。フィクション(創作物)経由でプロトタ イプが心象に形成されている場合、現実にそれを目の当たりにするとイマジネーションの現実への逆流現象が発生しフィクションはハイパーリアルに変貌する。 そんな七面倒くさい理屈をこねたところでどうしようもない。

あれは私が欧州に魅了された瞬間だった。魅了されたとしか言いようがない。その後九年間も何の縁もない欧州に住みつづけることになったのだから。

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