〔俳誌拝読〕
野守/弦
ウラハイ2009-8-30に個人誌のことが出ていたが、こんな個人誌もある。大木孝子さんの『野守』と遠山陽子さんの『弦』。
『野守』はB5を二つ折りにした大きさ。『弦』はその縦長。どちらもページ数は30ページ余。どちらも季刊で、俳句作品はは発行者本人のだけ。文章が多い。
『野守』は、鬼房自筆の句が表紙を開いたところに二句。その次のページには鬼房の書簡の文章が載っている。手紙の文章だから語りかける風で、生き生きとしている。塩竈神社に行ったときのことも、「歩けなくて倒れそう。いつもならキャラメルか氷砂糖ポケットにしているけれど。何とか帰宅。早々に就寝。眠れず。」等とある。大木さんには、「春雪や鬼房書簡四千通」(『あやめ占』2006年)という句があるが、鬼房からたくさん手紙を貰われたのだろう。
『野守』は文章を連載されてる方が何人かとその号だけの寄稿もある。今年の夏号では、藤原龍一郎氏が短歌「那由陀」14首を寄せられている。汐見孝平氏の連載のエッセイ「幼い日」は、楽しみにしている一つ。今はもう失われた良き時代の田園風景の中の幼年時代が描かれている。
『弦』では、<したたかなダンディズム、三橋敏雄>という遠山さんの連載があるが、これが面白い。三橋敏雄の近くにいた人ならではのいろいろなことが書かれている。
個人誌というかたち、時間的経済的なことを全部自分で引き受けられるなら、そういうことも出来るんだろう。
(羽田野令)
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