2010年10月10日日曜日

●おんつぼ35 インドロック さいばら天気


おんつぼ35
インドロック Indo-Rock

さいばら天気


おんつ ぼ=音楽のツボ

インドじゃありません。インドネシア。

1960年代、「エレキ・ブーム」という何やらミョーチキリンなブームがありました。1959年にデビューしたベンチャーズの、エレキギター2本とベース、ドラムという編成による、歌のない演奏だけの「ロック(と言えるかどうか微妙ですが、とりあえずロック)」が人気を博し、全世界に「エレキ・ブーム」が巻き起こったのです。

日本でも、寺内タケシとブルージーンズを嚆矢に、数多くのエレキバンドがデビュー、全国にアマチュアの若者エレキバンドが結成されました。当時の雰囲気は「青春デンデケデケデケ」(大林宣彦監督・1992年)を観ると、感じがすこしわかります。あるいは「エレキの若大将」(加山雄三主演・1965年)なら、もっとディープに、60年代の青春(若い人が観たら素っ頓狂で吃驚しますよ、きっと)。

1960年代に青春を送った人は、いまはすでに60歳代から70歳代(加山雄三が現在73歳)。俳句世間ではベテランとか主宰です。季語がどーたら鹿爪らしいことを言ってても、昔はエレキにしびれて、葉山までナンパに出かけたものの、ふられっぱなしだったのかもしれません。

むりやり俳句に話を持ってきました。話を戻しましょう。

一方、インドネシアです。インドネシアは古来から芸能がさかんで、ジャワ、バリをひっくるめて言えば、ガムラン音楽、ワヤン(影絵芝居)といった伝統芸能に加え、多様な伝統舞踏、フランス人が企画演出した集団トランス「ケチャ」など、バラエティ豊か。また、オランダによる植民地化が進んだ16世紀には、西欧の楽器を取り入れた大衆音楽「クロンチョン」やら、1970年代にはやはり西欧ポップミュージックの要素と土着の音楽の融合した「ダンドゥット」も盛んになりました。

つまり、古くから世界有数の芸能先進地域インドネシアは、植民地化に際しても、西欧由来の芸能要素を融通無碍にを取り込み、豊饒さを増していったというわけです。

そんなインドネシアとエレキの出会い、それが「インドロック」です。

まずは聞いて、そして見ていただきましょう。

Electric Johnny & Skyrockets - Johnny On His Strings 1960


いかがでしたか。エレクトリック・ジョニーとスカイロケッツの演奏と、数々の写真。

曲は、リズム・アンド・ブルーズ形式ではあるのですが、当時のエレキバンドに共通する「ノーテンキ」さが横溢しています。音に陰翳はありません。パーティ音楽、ダンス音楽という側面もありますし、ノリが良ければいいという音楽。言葉を換えれば「バカっぽい」。もちろん、メッセージ性などありません。メッセージがあるとしたら、「どうだ? カッコいいだろ?」という、それだけ(実際、カッコいいかどうかは別にして)。

ルックスはいかがでしょう。インドネシアと日本は、ご先祖様を共有している部分がありますから、私たちが見ても親近感が湧きます。今の若者はずいぶんスタイルがよくなりましたが、当時の日本人は、平均身長も低かったし、こんな感じです。

楽器もヘンでしょう? こんなかたちのバスドラムなんて見たことがない。ギターもギブソンやフェンダーといった「ロック」の道具とはずいぶん違う。

そして、バンド名。ここにも注目です。

エレクトリック・ジョニーとスカイロケッツ。

「カッコいい英語」を並べてみました、という感じです。このバンド名のノリは、他のインドロック・バンドにも共通して見られる傾向です。ちょっと並べてみますね(ご興味を持たれたら、バンド名でYouTube検索。たくさん動画が見つかります)。

ザ・ロッキン・ブラックス The Rockin' Blacks
ザ・クレイジー・ロッカーズ The Crazy Rockers
トニーと彼のマジック・リズム Tony and his Magic Rhythms
ザ・ローラーズ The Rollers
ボーイと彼のローリン・キッズ Boy and his Rollin' Kids
ザ・ヤング・サヴェイジズ The Young Savages
ダニー・エンジェルとザ・クレッセンツ Danny Angel & the Crescents
ザ・ギター・ファイターズ The Guitar Fighters

これぞアメリカ、というより、これぞ英語といったネーミングが並びます。

安直。

いえ、日本のエレキバンド、さらにはグループサウンズ(エレキバンドの体裁をとった青春歌謡がもっぱら)も、他国のことはいえません。

寺内タケシとブルー・ジーンズ、加山雄三とザ・ランチャーズ、(以下、グループサウンズ)ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ等々、ネーミングのセンスはそれほど変わりません。というか、本家の欧米でも、ザ・ベンチャーズ、ザ・シャドウズ、アストロノウツ、ザ・スプートニクス等、いま聞くと、なんだか素っ頓狂でノーテンキです(当時は、宇宙=新しい、だったのですね。ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げたのが1957年10月4日。その直後から米国で宇宙開発熱が高まります)。

ただ、欧米や日本のバンド名に比べて、インドネシアのバンド名は、むしろ潔い。「カッコよさ」に対して、ウブで一途な感じがあって、むじろ好ましいです(中途半端な手練手管よりも、不器用な純愛のほうが感動を呼ぶ)。

というわけで、聞けば聞くほど、見れば見るほど、インドロックの若者たちがキュートに思えてきませんか。

最後に動画をもうひとつ。

ザ・ロッキン・ブラックス。これはリードギターとボーカルの Dominicus 'Mingoes' Hitijahubessy (読み方がわからない)の面構えに注目です。こういうあんちゃん、昔の日本でも、村に一人はいたものです。ちょっと悪くて、みんなのリーダー的存在。都会に出て、バンドを組んだり、悪い仕事に手を出して、ちょっとやさぐれて、そして村に戻ってきて「農業でもやるか」という感じ。かな?と。

ではご覧ください。

The Rockin' Blacks - Guitar Strings (1962)


1960年代、日本は貧しかったなんて、いまの若い人は想像できないでしょう。デパートの大食堂で家族揃って食事をするのが何か月かに一度の大イベントだったなんて言っても信じてもらえない。フレンチ? イタリアン? なんだよ、それ?ってなもんです。iPad? 肩パッドなら80年代に流行ったけど?てなもんです。私たち年寄りに言わせれば。

でもね、「希望は貧者のパンである」という言葉があります。通り一遍、百万回繰り返されたことを言いますが、なんか、希望があったわけです、昔は。

インドロックの、洗練からは程遠い、素っ頓狂で奇妙な高揚感は、「これからきっと楽しいことがたくさん起こるはず」という明るさに満ちています(実際には起こらなくても、ね)。


ハイブリッ度 ★★★
こ、こ、こ、これは…(絶句)度 ★★★★★

1 件のコメント:

tenki さんのコメント...

動画が2本とも削除されていますね。

現時点で生きているもの。


Electric Johnny
http://youtu.be/5lzlkwI0tSc

The Rockin' Blacks
http://youtu.be/9LB8RFPMi68