ホトトギス雑詠選抄〔39〕
秋の部(十月)夜寒
猫髭 (文・写真)
あはれ子の夜寒の床の引けば寄る 仙台 中村汀女 昭和12年
鎌倉の小町通り雪ノ下一丁目を横に入ったところにある小さな古本屋「藝林荘」は、虚子・立子・年尾・つる女をはじめとするホトトギス一族の墓が寿福寺にある鎌倉だけに、時々ホトトギス系の句集の出物があるので顔を出す。逗子にも「海風舎」という俳句や詩の専門の古本屋があるので重宝しているが、主がセドリで留守がちなので、近いのにインターネットで頼んで郵送してもらう事が多い。インターネットは便利だが、やはり本は手にとって愛でて買いたい。
電子図書は、例えば小説やエッセイは、クリックするだけで背景の説明や写真や動画や音楽が読めて楽しめるので、iPADとか大いに期待しているが、手作りの本の良さには格別なものがあり、例えば、歴代の「ホトトギス雑詠」が電子図書で手軽に読めれば、検索も引用も随分楽になるが、何度も手にとって繰り返し読む書物のもたらす余生の時間の「私有」感は、電子図書はあくまでもヴァーチャル・リアリティの世界なので望むべくも無い。アナログのLPの息づかいまで聴こえるようなジャケットを眺める喜びがCDには無いようなものか。海外へ能く行っていた時は、古いジャズのオリジナルLPが安く買えるのが楽しみで、聞く時はレコードの塵ひとつ拭かない。そのぱちぱち言う音もその時代の音であり、ファンにとってはノイズではないのだ。指痕も付かず紙魚も棲めない電子図書は、わたくしには書物ではなく、コピーの効く便利なツールのようなもので、それはそれで面白いが、書物は便利さとは無縁の世界である。「私有」出来ないものを愛することは、わたくしには難しい。
で、「藝林荘」の奥左手の俳句の棚を見ると、何と原石鼎の龍土町の家に下宿していた詩人北園克衛の句集『村』(瓦蘭堂、昭和55年)があった。石鼎は「などハモニカかくもかなしく梅雨の闇」と北園克衛の吹くハーモニカを詠んでいる。買おうと思ったら4500円だったので臆した。稀少本なのでファンには高くはないとは思うが、北園克衛の詩集『黒い火』の、垂直にではなく助詞ひとつすら水平に展開する短い詩篇は、石鼎句の影響があるかも知れないし、高柳重信の行分け表記にインスピレーションを与えたかも知れないとはいえ、母のケアラーとして暮す我が身にはそこまで連想に遊ぶ時間も金もない。
出物は昭和22年に文藝春秋新社から出た『互選句集 中村汀女・星野立子』。立子と汀女は、橋本多佳子と三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた。二人は「ホトトギス」同人だったこともあり、ライバルと目され、虚子は娘の立子を依怙贔屓して汀女には冷淡だったと俄には信じ難い噂も仄聞していたので、この二人が互選しあう句集があった驚きには手が出た。千円と安かったこともあるが。
戦後間もない出版なので、造本は質素だが、持主の署名は「五高文甲 中川葉子」という、熊本市江津生れの汀女ゆかりの旧制第五高等学校(現熊本大学)文科甲組の女学生の蔵書だった。御存命であれば八十を越えているが、売られたということは遺族が放出したのだろう。とても丁寧に読まれていて、わたくしの武骨な手で二読三読しているうちに表紙は剥落を始めた。潔癖な筆遣いで「抱雅(えうし)」と裏に俳号の記された、汀女に憧れた持主の初々しさを手に取るような心持ちだった。五高はわたくしが全作品を愛読する梅崎春夫と萩原朔太郎の母校でもある。わたくしの手に取られたのも縁だろう。
前半は立子が選ぶ汀女の句と汀女論である。立子は読み直して「何と私と一緒に作られた句が沢山あることか」と、印象に残った句を、
さみだれや船がおくるゝ電話など
曼珠沙華抱くほどとれど母戀し
麦の芽に艫の音おこり遠ざかる
おいて来し子ほどに遠き蝉のあり
中空にとまらんとする落花かな
春の海のかなたにつなぐ電話かな
秋雨の瓦斯がとびつく燐寸かな
枯蔓の太きところで切れてなし
と、思い出をまじえて引きながら、鎌倉山のロッヂに出かけた時の二人の句を掲げる。
肉皿に秋の蜂来るロッヂかな 汀女
娘等のうかうかあそびソーダ水 立子(「うかうか」は踊り字のくの字点表記)
ほれぼれする個性である。
中村汀女も立子の句を論じるに、先ず次の二句を引く。
いつの間にがらりと涼しチョコレート
よきみくじ四つに畳んで単帯
選句だけで見事な立子論になっている。
また、汀女も調布の池内友次郎宅で立子と二人で句を作った思い出を語る。「調布の夜空は広く美しくてちやうど後の月で白い霧が流れてゐた。」
霧深きことはなつかし十三夜 立子
一本の竹のみだれや十三夜 汀女
今年の十五夜は叢雲を縫って現われる名月をかろうじて見られたが、二十日の十三夜も、薄紅葉の木蔭から名残の月が拝めたので片月見にはならずに済んだ。
この互選句集にはびりびり痺れた。それにしても原石を見抜く虚子の目は凄い。双方の論には引き合わせてくれた虚子の話題が出て来るが、この二人はお互いの作品を高めあう真の意味でのライバルになることを虚子が見抜いていたのは、互選の句の素晴らしさと彼女達それぞれの謙虚で敬愛と友情に満ちた評が見事に表わしている。ライバルとは自分の世界を持って初めて出てくる者であることが手に取るようにわかる。
殊に、汀女の立子句の選は見事なものだった。立子の汀女句の選に遺漏は無論無いが、立子は汀女が熊本は江津の両親を詠んだ句、
たらちねの蚊帳の吊手のひくきまゝ 汀女
といった句が心から素晴らしいと(同感だが)、好きで好きでという選び方をしている分、思い出に片寄るところがある。汀女は逆で、自分に思い出がある句は捨てて捨てて、立子の純粋俳句を作るような心組みで選んでいる。「あなたが選んだのは文句はないわ」と立子も言ったほどである。
この内容で、当時の定価が280円だとしても、千円は安い。この古本屋は馬鹿である。勿論褒め言葉だが。これだから古本屋通いはやめられない。
掲出句の「夜寒」の句は、汀女の子を詠む句では、
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや
と並んで人口に膾炙した句で、「引けば寄る」が「引けば」と母なる作者の動作に切り替わって、また子の「寄る」という動作に戻って結ぶ、母と子の温もりが際立つ座五として名高い。汀女は「きりもなや」もそうだが、座五の切れ味が際立つ作家である。
マスク同士向ひ合せてまじまじと(「まじまじ」は踊り字のくの字点表記)
河が呑む小石どぶんと蚊喰鳥
といった何でもないような句の「まじまじと」の可笑しさ、「蚊喰鳥」が波紋から飛び出してくるようなびっくり箱の面白さ。それが極まると至芸としか言い様が無い三句が来る。
とゞまればあたりにふゆる蜻蛉かな
ゆで玉子むけばかがやく花曇
外にも出よ触るるばかりに春の月
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