ホトトギス雑詠選抄〔41〕
冬の部(一月) 新年
猫髭 (文・写真)
酒もすき餅もすきなり今朝の春 高浜虚子 明治26年
那珂湊の我が家では、松の内が七日ではなく、小正月の十五日まで続き、小豆粥を食べて健康を祝して門松は鳥総松になるので、遅ればせながら新年の句を取り上げたい。新年を寿ぐ歌というと、古来より、『万葉集』二十巻の巻尾を飾る一首、
新(あらた)しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よごと) 大伴家持 天平宝字3年
が、最もめでたいとされる。元旦と立春の重なる今日、しかも、めでたい雪も降り重なったように、今年一年良き事が続くようにと願う一首に匹敵する、俳句の一句は何だろうか。
虚子の『新歳時記』で「新年」の冒頭に置かれた句は、蕉門の宝井其角の、
鐘ひとつ賣れぬ日はなし江戸の春 宝井其角 元禄11年歳旦
である。江戸俳諧の粋と張りを表した豪儀な句だが、元禄の江戸限定とも言える。昭和59年に話題になった神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』(中公新書)を読めば朝日文左衛門『鸚鵡籠中記』の元禄は豪奢絢爛たる元禄とは違う逼迫の世情を映す。
そして、末尾に置かれたのが掲出句である。実に馬鹿馬鹿しいほど目出度い一句ではないか。この句は、正岡子規の新聞「日本」選に採られた句である。当時、選句者子規24歳、投句者虚子17歳。未成年者飲酒禁止法の制定は大正11年だから、「酒もすき」と堂々と飲んで詠めた良き時代の一句である。ぬけぬけと、あっけらかんと詠んでいて、わたくしは好きである。最初に『新歳時記』で読んだ時は虚子晩年の句だと思っていたので、『高浜虚子全句集』で年号を見て17歳の時の句だとは知ったが、下戸で生涯酒が全く飲めなかった子規のこういう選句眼は好きだし、また壮年の虚子が若書きの句を載せたのは、子規の選を多としたのだろう。子規が採らなければ虚子がこの句を『新歳時記』に残す事はなかった。虚子自選『五百句』は、その翌年の、
春雨の衣桁に重し恋衣 明治27年
から始まるからである。子規ありての虚子だった。
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