2012年11月23日金曜日

●金曜日の川柳〔古谷恭一〕 樋口由紀子



樋口由紀子







膝を抱く土佐は遠流の国なれば

古谷恭一 (ふるや・きょういち) 1948~

「遠流」とは最も重い流罪のことである。佐渡や隠岐に流されたとは聞いたことはあるが、土佐もそのような土地であったらしい。「なれば」で終っているのだから、何かを問われての答えだろうか。その土佐に生まれ育ち、今の私が存在する。だから、哀しく、愚かで、滑稽なのかもしれない。それは土佐に生まれ育ったこだわりと自負である。歴史的演劇的操作を施した、諧謔性のある川柳である。

今の社会に合わせられないもの、すんなりといかないものを抱えている。しかし、上手く立ち回れないゆえの自分であり、完璧でないゆえの思念がある。膝を抱えながら、作者はきっとそう思っているに違いない。

〈この世にはこの世の音色 骨の笛〉〈白桃をむけばおののくわが齢〉〈赤とんぼ遊びつくしていなくなる〉 『現代川柳の精鋭たち』(北宋社刊 2000年)所収。

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