相子智恵
戦死せり三十二枚の歯をそろへ 藤木清子
宇多喜代子編著『ひとときの光芒 藤木清子全句集』(2012.10 沖積舎)より。
戦死した兵士。ふつう成人の歯の数は三十二本だから、それが一本も欠けずに揃っているということは、つまりは健康な若者だったということだ。
すべての歯を揃えたまま、健康だったこの男は戦地で死んだ。この歯は彼が生きていれば、もっと使われるはずだった。母や妻の料理をもっと食べられただろうし、友とたくさん話しただろう。歌も歌ったかもしれないし、接吻もしただろう。それがすべてかなわなくなった遺骨の、白くそろった三十二本の歯には、淡々と静かな悲しみが満ちている。
歯の本数の表現には「本」ではなく〈枚〉という言葉が選ばれている。〈枚〉の持つ語感のペラペラとした薄さは、重いはずのひとりの人生が「一兵卒」という軽さに変わっていくような、戦争の恐ろしさをも秘めているように思った。静かで重い、無季の句である。
本書は「スピカ」の神野紗希氏の紹介にもあるが、昭和十年代の新興俳句運動の時代に活躍した女性俳人である藤木清子を、宇多氏が30年という労力と私財を投じてまとめあげた編年体の全句集である。
前半ページ(清子が句作を始めたばかりの頃)は正直、言葉や思いが上滑りしている句も多く、なぜ宇多氏がこの俳人に注目したのか疑問に思いつつ読み進めた。だが、後半に行くにしたがい清子の句は俄然、緊張の光を帯びて鋭く輝いてゆく。それは日中戦争が激しさを増し、新興俳句が官憲に弾圧されていくのとちょうど呼応していた。悲しく切実な呼応であった。
収録された宇多氏の講演録から一部を引こう。
実作期間は短く残した作品もそう多くはない。新興俳句そのものが、藤木清子の俳句人生と同じく短命で、悲劇的でしたからね。それに、藤木清子は、けっして文学意識の高い教養人でもなければ、技巧的にすぐれた俳人でもない(中略)ただ、発言のむつかしいあの時代に、精一杯生きた女性が、偽りのない声を俳句という入れ物にどうにかして詰め込もうとして奮闘したわけですよ。無様だったかもしれない、失敗だったかもしれない。ところが、たとえば俳句作品年表を作成しようとするとき、どうしても避けて通れない一人です。これって大きいことですよね。いくら高い教養の持ち主で、人気者で、みんなにもてはやされる句を多く作ったからといって、どうということないじゃないですか。●
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