2013年12月25日水曜日
●水曜日の一句〔柳沼新次〕関悦史
関悦史
除夜の鐘胎児のやうに妻眠り 柳沼新次
「胎児のやうに」の無力、可憐ぶりからも「妻」がもはや普通の体力を保っていないらしいと察せられるが、この句集『無事』は、老老介護の句が中心となっている。
《老妻と蝶の名を言ひ争へり》《病む妻の浴衣さがして日の暮れる》《妻病みて野菊飾らぬ家となりぬ》《マフラーを二人で捲けば死ぬかもよ》《病む妻の白き唇屠蘇祝ふ》《泣く妻をなだめきれずに初日記》等々。
介護経験者であれば誰もが多かれ少なかれ似たような経験はしているはずで、病人がそれまでの生活習慣を全うできなくなって野菊が飾られなくなったり、屠蘇を祝う唇の血色の薄さに目を引かれたり、そして(これが辛いのだが)泣かれたりといった事ども、皆さもありなんと思わされる。
中で《マフラーを二人で捲けば死ぬかもよ》は、介護中の句と知らずとも、「二人で」「死ぬ」の心中を連想させる緊迫感と、「マフラー」をともに捲く行為、肌ざわり、軽さの感覚から、温かい思慕に包まれた切れない深い縁を引き出していて、口語調の向こうに覚悟のほどが透けて見える佳句。
さて掲出句《除夜の鐘~》は一年の終わりの安らぎのひとときを掬い、とりあえず今は荒ぶりも苦しみもせず、眠りについてくれている無力な妻を慈しみをもって包み込む目と、年の終わり特有の一抹のさびしさを伴う満了感、そして同時に立ち上がってくる、この先どうなるのやらという、ともに虚空に浮いているかのような漂遊感のもとに、妻との繋がりを改めてしみじみと感じ取っている。
悲しみばかりではなく、酷な日々の中、愛情を持って責務を果たしている人ならではの、或る満たされた感じがある。
句集『無事』(2013.12 ふらんす堂)所収。
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