2014年3月17日月曜日

●月曜日の一句〔佐藤文香〕相子智恵

 
相子智恵







愛して た  この駅のコージーコーナー  佐藤文香

俳句雑誌『クプラス』第1号(2014.3 クプラスの会)「あたらしい音楽をおしえて」より。

「コージーコーナー」という洋菓子チェーン店は、いま住んでいる町の駅前にもあるし、前に住んでいた町の隣駅にもあった。そういえば、前の前に住んでいた町の駅ビルにも入っていた。このチェーン店の名を出すことで、都会(特に首都圏)のとある一風景を切り取りながらも、首都圏に住む多くの人たちもまた「自分に馴染みのあった駅」を思い出すのではないだろうか。つまり〈この駅の〉は「どの駅にも」になりうる。それだけ共感も広がりやすいといえる。

分かち書きが、漫画のコマ割りのような効果を生んでいる。〈愛して た〉と〈この駅の〉は意図的にかなり離されていて、もちろん愛していたのはこの店なのではなく、その店のあった駅にまつわることすべてであり、たとえば今は別れてしまった恋人と、昔一緒に住んでいた町の駅の思い出だったり、恋人に対する〈愛して た〉であるのだろう。

「愛してた」はかなり直球な言葉で、「“愛してた”と言わずに、愛していたことを表現する」のが俳句の常であろうし、一冊の小説は、それを言うために何百ページも費やしていたりするものだ。それがここでは堂々と書かれている。

この直球さは、たとえばかつて通り過ぎてきた少女漫画や歌謡曲のストレートな台詞や歌詞に似ていて、それと同じ類の切なさを感じさせる。それが成功しているかどうかはわからないが、ストレートな青春の句として、恥ずかしいようなキラキラしているような、うじうじしているような、独特の感情を抱かせる。そこにもわかりやすい共感があるだろう。

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