2018年6月10日日曜日

〔週末俳句〕誰かと同じ一日の風  柏柳明子

〔週末俳句〕
誰かと同じ一日の風

柏柳明子


谷間の地形だからだろうか。風の強い街、というのが最初の印象だった。

新居は、とにかく風がよく通る。共働きの週末は家事から始まるが洗濯物はよく乾き、室内も割とカラッとしていてのんびり過ごせる。喜んでいたら咽喉が痛くなりやすく、お腹が冷えやすいという副産物が。嗚呼。

家を出て左に曲がれば商店街。右に曲がれば住宅街。どちらも歩いて四分程度だが、風景が違う。左の世界はとにかく家族連れが多く賑やか。右の世界は程のよい今どきファミリー向けのマンション群と昔ながらの一軒家が入れ子状態に続く。その中にぽっかりと畑と緑、そして大きな空。こちらも家族連れはいるが、静かでいささか脱力モード。

引っ越した当初から夢中なのが、畑の先の大きなコープ。とにかく綺麗。品ぞろえがよい。値段も相応。店員の対応も気持ちよい。入口を入ると、目の前の色とりどりに並んだ夏野菜や果物の数々に胸が踊る。「今日は買いすぎないぞ」とわざわざ書いてきたメモはポケットの中で忘れ去られ、買い物カゴはすぐにいっぱいに。レジャーランドよりも魅惑のコープ。嗚呼。

帰りのエコバッグは戦利品を詰め込んだ喜びの重たさ。それを両肩から下げながら、帰りに地主さん家の見事な庭や畑仕事の様子をぼんやり眺めるのが好きだ。植物の生命力が刻々と表情を変える様子は見飽きないし、何といってもこの風景の醸し出す「忘れられた感」がたまらない。

大したものではないが栄養バランスを考えつつ料理をし、掃除や洗濯をし、家族と仕事や俳句、その他のこまごまとしたことを話したり、ときどき喧嘩をしたり、笑ったり。外で歪んだ得体のしれない風が吹いていても、個人的な一日の中では身近なものとして聞こえず、そのうちに過ぎてしまう。

その風が知らないうちに過ぎずに留まり強くなり、気がついたら嵐になって巻き込まれてしまうときが来るかもしれない。あるいは、雲を吹き蹴散らし見たことのない晴れを連れてくることもあるのだろうか。可能性は断定できない。でも、世界は私が今まで触ってきたものから確実に変わってきている。

風が雲を払った晴れの日の終わりは、家から夕焼けを眺めることができる。全身を茜色まみれにしていると、今、この時間と世界はどこに属しているのかだんだんわからなくなってくる。私たちの一日、誰かと同じ一日が終わろうとしている。


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