相子智恵
そのあとは煮込んでしまふ茄子の馬 仙田洋子
句集『はばたき』(KADOKAWA 2019.8)所載
一読、笑ってしまう。お盆の時に苧殻の脚をつけて作った茄子の馬。祖霊を迎え、送るための精霊馬だが、お盆が終わったあとは捨てるのももったいないので煮込んでしまった。
茄子は少し萎びているだろうから、天ぷらのように素材の味や形そのものを生かす料理には向かない。しかし、くたくたに〈煮込んでしま〉えば、少々萎びていようが苧殻の穴が開いていようが関係なく、おいしくいただけるのである。ラタトゥイユのように細かく切ってトマトで煮込むのもおいしいだろう。
〈煮込んでしまふ〉に諧謔と若干の罪悪感が滲んでいるが、一度は魂をのせたお供え物を食材に引き戻すのは、ドライなように見えて案外、ただ捨ててしまうよりも祖霊を身近に感じる温かい行為のように、私には思えた。
生死が近くあるお盆にあって、祖霊が乗った茄子の馬を食べることは、死者から命がつながって自分が今生きていることの肯定のように思える。神人供食の「直会(なおらい)」に近い意味を、死者と生者との間にも感じて、何だか元気が出るのである。
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