樋口由紀子
寂しさに午前と午後のありにけり
荻原久美子 (おぎわら・くみこ)
今話題の高山れおなさんの『切字と切れ』は読み応えがあった。川柳では切字の「や」「かな」「けり」はあまり使わないが、川柳にも切れのある句はある。掲句は切字の「けり」を使っている。「けり」を使っているので、切れているのだろうか。それよりはぽんと投げ出したような雰囲気がある。それも切字効果なのだろうか。
「寂しさ」という理由があってないようなものに「午前と午後」という、これもわかるようでわからない輪郭を与え、「ありにけり」と、さらっと退場する。余分な動詞を斡旋してないので、余計な説明はなく、意味に引っ張られることがなく、一句が終結する。後には言葉だけが残り、余韻をもたらしている。「ありにけり」を流通させ、認証させたことはマジックである。『ジュラルミンラビア』(1991年刊)所収。
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