2024年8月30日金曜日

●金曜日の川柳〔戎踊兵〕樋口由紀子



樋口由紀子





光るのを拒めずにいる星の数

戎踊兵

夜空に輝く満天の星のなかには光りたくない星もあるのだろう。慣習的に、任務的に、強制的に、光っているものもあるのかもしれない。星は光るものだという思い込みが星自身にも部外者にもあり、それを「拒む」のはかなりエネルギーがいる。だから、諦めて、しかたなく、右に倣って光っている。

日常会話や小説などでよく聞いたり言ったりする言葉に「星の数ほど」がある。星の数ほどいっぱいという意味である。人間もしかり。同調圧力で「拒めず」にいる人が世の中にはたくさんいる。意味深な、メッセージ性の強い川柳である。「おかじょうき」(2024・8月号)収録。

2024年8月26日月曜日

●月曜日の一句〔月野ぽぽな〕相子智恵



相子智恵






一匹の芋虫にぎやかにすすむ  月野ぽぽな

句集『人のかたち』(2024.7 左右社)所収

毛虫は、びっしり生えた毛そのものが、見た目にも賑やかであるが、芋虫はそうではない。緑色一色か、揚羽の幼虫であれば目玉のような柄や黒い斑があったりもするけれど、毛虫にくらべれば、存在そのものが賑やか、というわけではない。

この賑やかさは、まさに「動き」の伸び縮みの賑やかさ、「うねり」の賑やかさなのだ。芋虫が伸び縮みして、うねりながら進んでいく。丸々とした大きな一匹ではないだろうか。踊るように賑やかに進む存在感。何か楽しくなってくる一句である。

 

2024年8月23日金曜日

●金曜日の川柳〔加藤久子〕樋口由紀子



樋口由紀子





大夕焼耳をお返しいたします

加藤久子(かとう・ひさこ)1939~

大夕焼の鮮やかさが目に見えてくるようである。自然の偉大さ、美しさに感動し、胸いっぱいになって、咄嗟に思ったのだろう。「お返しいたします」ということはもともと自分のものではなく、借りていたという意識があったのだろう。大夕焼に対しての究極の敬意である。

その心の有りように驚く。それは自然の中で生かされているという思いからだろう。荘厳な景を目にしての奇妙で不思議な感覚である。こちらからあちらへと心身を寄せていき、「お返しいたします」ときっぱりと言い切る。美意識と感受性で作者固有の世界と空間を創り上げている。「触光」(80号 2023年刊)収録。

2024年8月21日水曜日

西鶴ざんまい #65 浅沼璞


西鶴ざんまい #65
 
浅沼璞
 

なづみぶし飛立つばかり都鳥 打越
 花夜となる月昼となる
   前句
名を呼れ春行夢のよみがへり 付句(通算46句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】二ノ折、裏11句目。 春行(はるゆく)=晩春。 よみがへり=無常。

【句意】名を呼ばれ、行く春とともに終わろうとしていた夢から蘇った。

【付け・転じ】打越を舟遊びの余興とし、その有限性を詠んだ前句を、病人の幻覚に取り成した。

【自註】爰(こゝ)はまた人の正気うせて、夢のごとく、しれぬ山辺(やまべ)に心も闇く、*昼の花夜と成り、夜る見る月の昼と成り、引息(ひくいき)のたよりなき時、其の者の名を声々に呼び、「*いけやれ」「*針立よ」「*人参よ」「湯よ、水よ」とさはぎしに、目を明けて、「是はかしましや、何事ぢや」といふ。
*昼の花夜と成り…=〈春の花も闇となし、秋の月を昼となし…〉『好色五人女』(巻一)に同じく精神朦朧状態を表す。 *いけやれ(生けやれ)=生き返れ。 *針立(はりたて)=鍼医者。 *人参=高麗人参。

【意訳】ここはまた病人が人事不省に陥り、夢幻の境をさまよい、死出の山路に心も暗く、昼間の花が夜になり(消え)、夜に見る月が昼になり(失せ)、呼吸が弱くなる時、その病人の名を口々に呼び、「生き返れ」「鍼医者を」「朝鮮人参を」「お湯を、水分を」と騒いだのに、目をあけて「これうるさいぞ、何事だ」と言う。

【三工程】
(前句)花夜となる月昼となる

 正気うせ心も闇き死出の山     〔見込〕
    ↓
 生けやれと鍼よ水よとさはぎたて  〔趣向〕
    ↓
 名を呼れ春行夢のよみがへり     〔句作〕

前句を病人の幻覚に取り成し〔見込〕、〈看病する人々はどうするか〉と問いながら、その騒ぎ立てる様子を描写し〔趣向〕、〔春ととも逝かんとする病人が一転して蘇生する〕のを詠んだ〔句作〕。

 
そういえば『男色大鑑』にも、息もたえだえになった人にニンジンや水を与え、蘇生させるというエピソードがありましたが、ニンジンって朝鮮人参のことですよね。
 
「そや高麗人参は滋養強壮にええんや」
 
でも昔から高価ですよね。
 
「せやから〈人参飲んで首縊る〉いう諺があってな。高価な特効薬で病を治しても、その借金で首が回らんようになるいう教訓や」
 
なんか浮世草子のオチみたいですね。
 
「そら諺や俳諧は浮世草子のルーツみたいなもんやからな」
 
ルーツ? 外来語?

「呵々、前にそなさんから教わった横文字、いちど使うてみたかったんや」

2024年8月16日金曜日

●金曜日の川柳〔酒井かがり〕樋口由紀子



樋口由紀子





極めて右に乳房が寄っている困る

酒井かがり(さかい・かがり)1958~

つい先日の句会に出された一句である。「極めて右に」にどきりとした。まさに今である。しかし、鮮やかに切り取っているのではない。日常における実感を不道徳っぽい書きぶりで、句材を自分の身体に、それもジェンダー性の強い乳房を持ってきている。

「極右(ごくみぎ)に」と上五にすればすんなりいくものを、わざわざ「極めて右に」と散文的な説明を加える。一方、下五は「いる困る」と「る」を重ね、もたもたともどかしくし、「いて困る」という説明を回避する。虚であり実である感覚をスローガンにいかないように、他人に迷惑がかからないように「困る」と着地した。確かに困る。

2024年8月10日土曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


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時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



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2024年8月9日金曜日

●金曜日の川柳〔中尾藻介〕樋口由紀子



樋口由紀子





コーヒーが一番廉いのでコーヒー

中尾藻介(なかお・もすけ)1917~1998

夏休みなので、孫娘たちとカフェによく行く。祖母が財布であるから、彼女らは友だちと行くときとはあきらかに別の、贅沢なものを注文する。その逆バージョンだろう。私も学生時代に通った喫茶店はホットミルク、牛乳を温めたものが一番廉価で、お金のないときはちょっと胃の調子がよくないとか言って、ホットミルクにしていた。ミックスジュースなどは高価で、もってのほかだった。

まるで会話しているように、日常次元の意味に収めた川柳である。このとりとめのない視点で日常を適確に把握する。生活者の知恵があり、ほのかな毒とアイロニカルなまなざしが潜んでいる。

2024年8月7日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇22 浅沼璞



西鶴ざんまい 番外篇22
 
浅沼璞
 
 
「石川九楊大全」前期【古典篇】(6/8~30 上野の森美術館)を見逃したので、猛暑も厭わず後期【状況篇】(7/3~28)へ足を運びました。

 
初期作品群から戦後現代詩文、そして最近の自作詩文というパースペクティブにおいて、ひときわ印象深かったのは碧梧桐109句選です。

前衛書家として碧梧桐の前衛性をつとに評価していた九楊氏は『河東碧梧桐-表現の永続革命』(文藝春秋)なる批評集を2019年に上梓。その仕上げとして、碧梧桐109句を選び、書画をしたため、注釈を施した『俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』(左右社)を2022年に上梓。今回はその全展示という次第です。
 
 
書画作品の下にはその注釈も掲示され、整然と二部屋に連なる様はまさに圧巻。一句一句たどるうち、109句という数的連関もあってか、ふと西鶴の独吟百韻を連想したのですが、次の一句に出会い、やはりそうかと目から鱗でした。
 
  一日百千句発句の秋巍々乎たり  碧梧桐
 
この句、九楊氏の注釈によれば「骨立舎」と題されており、小沢碧童宅での句会「俳三昧」を詠んだもののようです。巍々乎(ぎぎこ)とはすばらしく高大であるという意味らしく、九楊氏の注釈は次のように続きます。
 
〈…作句に次ぐ作句の俳句修行を碧梧桐は具体的、実践的に詠む。天高くして広大な秋。それに呼応するかのごとき、骨立舎に集う志高き俳人達。虚子は俺が俺が。碧梧桐は我等我等。〉
 
いわば〈俺が俺が〉は垂直志向、〈我等我等〉は水平志向ですが、虚子も碧梧桐も(そして西鶴も)実作では垂直/水平の両義性を駆使しました。それは俳諧自体が発句の垂直性と付句の水平性をもった「二律背反の濃い塊り」だからでしょうが、九楊氏の書とてその両義性と無縁ではなく、この【状況篇】でも9・11事件を扱った「垂直線と水平線の物語Ⅰ」という連作の展示があったというだけではありません。図録序文では垂直/水平の両世界の発見について言及しています。

〈一方では筆は刷毛となって、紙の繊維に沿って墨が平面的に広がってゆく水平の世界、また他方では鑿とも錐ともなった痩せた筆蝕が紙の奥深くまで立体的に斬り開いていく垂直の世界とを発見した。〉
 
この二律背反の発見により、氏の作品は〈現代美術か現代音楽の図形楽譜と見まごうばかりの姿へと変貌を遂げた〉わけで、9・11事件以後の碧梧桐109句選にもそれは如実に反映されていました。

 
先日、くしくも東武ワールドスクウェアにて1/25スケールのツインタワーを仰ぎ見ました。その瞬間、九楊氏の作品群が真夏の逆光に雪崩れるかのようなイリュージョンを覚えました。

狂気に満ちた垂直/水平の背反的世界に、俳句も書画もあることを、この【状況篇】は世に告げわたっていたというほかありません。

2024年8月5日月曜日

●月曜日の一句〔杉山久子〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




何か言ふ老人の歯を網戸越し  杉山久子

フィルターがかかって、入れ歯か自分の歯か、その歯の白だけがはっきりと見える。

老人の呂律だからか、網戸が邪魔するのか、聴覚にもフィルターがかかって、何を言っているのかまではわからない。

「歯」にフォーカスされたこの老人像、老人を含む光景に、どんな印象を持つか。私には、ちょっと気味の悪い、夢魔のような光景に映るが、このへんは、読者によってさまざまだろう。この種のことまで、句が明示するわけではないので(これは俳句のもつ美徳。ただ、出来事や光景が提示される美徳)。

掲句は杉山久子句集『栞』(2023年9月/朔出版)より。

2024年8月2日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



「山本リンダ」  川合大祐

川合大祐『リバー・ワールド』(2021年4月/書肆侃侃房)は、人名がとても多い。

オスカー・ワイルド、ジャンボ鶴田、ロダン、フーディーニ、切断されたバとカボン、チャップリン、タイガーマスク、偽ドリフ、ベラ・ルゴシ、アダム・スミス、チップ/ディール、サマセット・モーム、ディズニー、紀貫之、研ナオコ、いとうせいこう、宗兄弟、房公部安、のび太、六人の馬場、ダーウィン、タモリ、永井豪、武田鉄矢、長渕、安達祐実、志田未来、長嶋茂雄、マリック、タモリ、マルクス、イチロー、ゴドー、緑川一族、スネークマン、ブラウン神父、カーネル・サンダース、サルトル、老グレーテル、サッチャー、フック船長、宇多田ヒカル、実相寺昭雄、ヴェルヌ、馬場、吉永小百合、寺山、ガッツ石松、イーストウッド、ルイージ、たけし、クララ、与謝野晶子、ブリトニー・スピアーズ、ジャガー横田、手塚治虫、日高のり子、エスパー五郎、シャア、森進一、志賀直哉、吉宗、愛野美奈子、伊藤整、椎名桜子、コメットさん、茉奈佳奈、海野十三、ラカン、ジョン・ウェイン、ハンフリー・ボガート、渋谷さん、寂聴、アトム、藤原氏、ちびくろサンボ、徳川家、藤原氏、リカ、ドナルドダック、薫子、カリガリ博士、こんどー、ぐりとぐら、辻加護、志村、佐藤蛾次郎。

架空のキャラクターや芸名、誰を指すのか不明の固有名詞なども気にせず混入させて拾いました。壮観です。

で、です。人名が川柳(や俳句)に出現すると、びっくりすることが多い。とりわけ川合大祐の句がそうなのですが、思ってもみない脈絡のなかに突然現れるので。

なおかつ、みなが知っている人たちは、まずまず膨大な情報(ウィキペディア数画面ぶん)を携えて、あるいは引き摺っている。

だから(ここで読者に不親切な論理の飛躍)、句における人名とは、事件のようなものです。

そこで、掲句。句です。章タイトルとかではありません。ただ単に「山本リンダ」とは、まさに事件の最たるもので、目にする読者は不安とも歓喜とも驚嘆とも絶望とも知れぬ感情が「どうにもとまらない」。ほとほと「こまっちゃうナ」であります。

でも、まあ、『リバー・ワールド』全368頁という句集自体が、さらにいえば川合大祐の全作品が「事件性」に満ちている。そのことに思いを到らせつつ、《カギ括弧付きの山本リンダかな》と五七五定型・切字にパラフレーズする無粋で、この記事を結びます。