2024年9月16日月曜日

●月曜日の一句〔谷口智行〕相子智恵



相子智恵






間引かれてより間引菜の名をもらふ  谷口智行

句集『海山』(2024.7 邑書林)所収

大根や蕪などは、最初は隙間なく種を撒くものの、芽が出た後は、風通しと日当たりをよくするために定期的に間引き、大きく育ちそうな株だけを残して育てる。

掲句、言われてみればそのとおりだ。間引かれなかったら大根や蕪に育つはずだったのだから、〈間引菜〉と呼ばれるはずもなかったものである。

間引かれたからこそ、ついた名前が〈間引菜〉。なんと哀れなことだろう。しかし、〈名をもらふ〉というところには諧謔もあって、哀れさと可笑しさが同居した、俳句らしい視点と味わいがある句になっている。

間引かれたからといって捨てられることはなく、お浸しや胡麻和えで美味しくいただく。途中で生育が終わってしまっても、そこでは「間引菜」の名がついた株こそが、堂々たる「主役」なのである。

 

2024年9月13日金曜日

●金曜日の川柳〔藤井智史〕樋口由紀子



樋口由紀子





銀シャリにはなれぬ チャーハンにはなれる

藤井智史(ふじい・さとし)1979~

「銀シャリ」と「チャーハン」の双方を対峙させ、「銀シャリ」に軍配を上げ、敬意を表している。特に今の時期は新米が貴重で、美味しい。銀色に輝く白い炊き立てのごはんに勝るものはない。何も手を加えないで、そのままで勝負して、高い評価を受ける。それを超えるものは確かにない。

「なれぬ」「なれる」にいろいろな漢字を当てはまる。「成る」「為す」「慣れる」「馴れる」と、そのどれもがそれぞれ微妙に意味が違ってくる。

よく川柳で平明で深い句がいいと言われるが、それが出来るなら苦労はしない。平明だけでは深くならないから、どうにかしようとあっちこっちに手を入れたり、足したり、引いたりする。私はチャーハンに軍配を上げたい。『十三月に追い風』(2024年刊 新葉館出版)所収。

2024年9月9日月曜日

●月曜日の一句〔守屋明俊〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




白雲の落としてゆきし木槿かな  守屋明俊

木槿は背丈のある木なので、花に目をやると、おのずと見上げることになり、空が、雲が、目に入ってくる。空や雲と「相性」のいい花のひとつだろう。

白い雲は、黒みの濃い雲と違って、雨は落とさない。白い木槿を落とすのだと、この句は言っている。

「落としてゆきし」で、雲が動いていること、その頭上にはもうないかもしれない雲の動きが伝わる。

掲句は守屋明俊句集『旅鰻』(2024年1月/ふらんす堂)より。

2024年9月7日土曜日

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2024年9月5日木曜日

〔人名さん〕草間彌生

〔人名さん〕草間彌生


逃げ切れぬ草間彌生の南瓜からは  岡田由季


岡田由季句集『中くらゐの町』2023年6月/ふらんす堂



2024年9月4日水曜日

西鶴ざんまい #66 浅沼璞


西鶴ざんまい #66
 
浅沼璞
 

 花夜となる月昼となる   打越
名を呼れ春行夢のよみがへり 前句
 弥生の鰒をにくや又売る  付句(通算48句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】二ノ折・裏12句目。 弥生=春。 鰒(ふぐ)=本来は冬。産卵期の春は毒性が最も強く、菜種河豚という。

【句意】三月の河豚を憎いことにまた売っている。

【付け・転じ】前句の甦った人の苦しみの原因を毒河豚とし、魚売りへの憎しみに転じた。

【自註】「*時ならぬ物は食する事なかれ」とふるき人の申し伝へし。前句の病体は、毒魚(どくぎよ)の*とがめにして、なやみたるありさまに付け寄せける。又、その折ふし、鰒を売る声、いづれもかなしき時の事ども思ひあはせて、魚売りをにくみし。
*時ならぬ物は……=「時ナラザルハ食らハズ」(論語)。 *とがめ=中毒

【意訳】「季節外れのものは食べてはならない」と古人は申し伝えた。前句の病体の句は、毒河豚にあたって苦しんだ有様で、それに付け寄せた。また、そのような時、河豚を売る声(を聞き)、みな(病人の)気の毒な状態を想起して、魚の行商人を憎んだ(と句作した)。

【三工程】
(前句)名を呼れ春行夢のよみがへり

時ならぬもの食するなかれ   〔見込〕
  ↓
  弥生の鰒になやみたるさま   〔趣向〕
    ↓
   弥生の鰒をにくや又売る     〔句作〕

蘇生した人の不調の原因を季節外れの食中毒とみて〔見込〕、〈春にどのような食中毒があるか〉と問いながら、菜種河豚と思い定め〔趣向〕、「行商人の売り声に対する憎悪」を題材とした〔句作〕。

 
ちょっと調べたんですが、大矢数に〈命知らずや河豚汁の友/床に臥し肩で息して北枕〉って付合がありますね。
 
「そやな、河豚汁は何句か詠んだはずや」
 
でもまだ息があるのに〈北枕〉ってひどいんじゃないですか。
 
「備えあれば憂いなし、いうやろ。北枕の準備あれば、逆に生き返るいうもんや」
 
はぁ、また諺ですか……。

2024年9月2日月曜日

●月曜日の一句〔矢島渚男〕相子智恵



相子智恵






何をしにホモ・サピエンス星月夜  矢島渚男

句集『何をしに』(2024.7 ふらんす堂)所収

ホモ・サピエンスは、今の私たちの直接の祖先。ホモ・サピエンスがそれまでの人類と違ったのは、言葉を操るようになったことであった。言葉によって物事を複雑に考えられるようになり、環境への適応力が増していったといわれる。

さて、掲句。ホモ・サピエンスは進化の過程で生まれたのであって、「何かをするために」地球上に登場してきたわけではない。だから、掲句はもちろん、今の私たちに向けた批評をもった上での「何をしにきたのか」なのだろう。いったい私たちの祖先は、何をしにこの地球に現れて、そこからはるか進化した後の私たちは、実際に何をしてきたのか。あるいはこれからも続く進化の過程で、何をする(しでかす)のか。

  酢海鼠を残人類としてつまむ

  人類は涼しきコンピューター遺す

  ヒト争ひ極地の氷溶けつづく

そんな批評眼が背後にあることは、本書にこのような句があることからも分かる。様々な星が瞬く〈星月夜〉に、地球に現れたホモ・サピエンス(の末裔である私たち)は、地球に〈何をしに〉きたのだろう。私たちは、このたくさんの星空の中のひとつである地球にとって、どんな存在なのであろう。