2015年10月6日火曜日

〔ためしがき〕 「幅広い選」から「開かれた選」へ 福田若之

〔ためしがき〕
「幅広い選」から「開かれた選」へ

福田若之

俳句というジャンルにおける「幅広い選」の称揚:多様性の顕現という現代的状況によって過熱したものである。加えて、寛容さ=道徳的な美徳、という図式(この等式自体は誤りではないだろう)。

だが、選とはそもそも狭くすることに他ならない。選ぶことは、(一面としては)区分し排除することにほかならない。

「幅広い選」も、排除する。「幅広い選」も絶対的な寛容さを持つことはありえない。∴「幅広い選」は、それが見せかけの寛容さを伴うがゆえに、より悪質な排除として働きかねない(それはジャンルを征服し、価値観を均質化する:選のグローバリゼーション)。

選に要求されること=開かれていること≠広いこと。

開かれていること。それも、自らの排除するものへ向けて開かれていること。狭いことと開かれていることとは必ずしも矛盾しない(隠喩:シンガポールは狭い国だが、交易は盛んである)。

選を開くにはどうすればよいか→「開かれた選」の定理はない(三角形の二角を等しくすれば二等辺三角形になる、という具合には、「開かれた選」を実現することはできない)。だが、「開かれた選」は、とにかく、何かしらのかたちで、自らの排除するものへ向けて開かれているはずだ。

2015/8/25

2015年10月5日月曜日

●月曜日の一句〔椎野順子〕相子智恵



相子智恵






月の夜の降りくるものを待つ海底  椎野順子

句集『間夜』(2015.9 ふらんす堂)より

光を降らせ続ける月と、降ってくるものをひたすら待ち続ける海底。月光が届く浅瀬にも海底はあるが、私はこの句に深海を、光が届かない暗闇の世界を想像した。〈降りくるもの〉を静かに、けれども焦がれて待つ海底とは、魚や海藻で賑やかな浅瀬の海底ではなく、わずかな生物しか住むことのできない、深く静かな、淋しくも安らかな深海の海底ではないかと思うのだ。

月が降らせ続けても、海底が待ち続けても、月と海底とが光によって結ばれることは永久にないのだろう。けれども、海底には上から何かが降ってくる。砂粒かもしれないし、死んだ魚の欠片かもしれない。その〈降りくるもの〉は、光を知っているかもしれない。海底はそれを待ち続ける。海底が知らない光の物語を。

月から始まり海底で終わる語順によって、読者の心は無理なく上空から海底へ、明から暗へと誘われる。静かに何かを恋う気持ちが湧いてくる。雪・月・花という季語に含まれる「君を憶ふ」という心も、ここに思われてくる。

2015年10月3日土曜日

【みみず・ぶっくす 40】夢をみる人は 小津夜景

【みみず・ぶっくす 40】 
夢をみる人は

小津夜景



 昔、外国にいた叔父が、当時小さかった私に言った。
 敗戦で日本にひきあげる時は死を覚悟した。それでも、もうだめだという瞬間までは好きにやるつもりでいたら、結局最後に手元に残ったのがヴァイオリンだった、と。
 子供の私は「その状況で楽器?」と、叔父の話をまったく信じなかった。ところが大人になったある日、柳宗理のこんな戦場体験を知った。
 柳は南方戦線で、食料もなく、最後は何ヶ月もジャングルの中をさまよったらしい。そしてとうとう動けなくなりもうだめだと悟った時、大切にしていたコルビュジエの原書『輝く都市』を背嚢から取り出して土中に埋めたのだそうだ。
 『輝く都市』は三百頁に及ぶ大判の建築図版である。私は柳がこんな重い本を背負ったまま戦地を逃げ回っていたことに驚きつつ、だがこれはふつうのことなのだ、とも思った。
 ある種の人は死のぎりぎりまで夢をみる。
 死とひきかえに夢をみる人さえいるだろう。
 夢を見る人は、つまり何を見ているのか? 
 僕はね、記憶をたぐると、そのたび過去が新たに生まれるような心地がする。記憶は書庫に似て、なんどでも読み返せるんだ。記憶をモニュメントと捉えるのは、あれは噓だよ。モニュメントは夢の終わった場所に建つものだからね——叔父はごくふつうの顔で、そう語った。


使用済みインクの滲む雲や秋
8ミリの濁りが蔦の記念日に
虫籠の眩しい祖母はぼけてゐる 
手を引いて回るモビール美術展
鳳仙花時間をかけて書き損ず
うたたねを食めば過客が月代に
郵趣家とすれちがふなり秋の虹
流れ星あまた高胸坂に死す
未公開シーンは雨のきのこ狩り
長き夜フイルム静止したままの

2015年10月2日金曜日

●金曜日の川柳〔森田律子〕樋口由紀子



樋口由紀子






タスマニアデビルに着せる作業服

森田律子 (もりた・りつこ) 1950~

「タスマニアデビル」って、私の苦手な猫だ。夜行性で日中は岩穴などに隠れていて、かなり凶暴であるらしい。それにしても「デビル」っていう名前をつけるのって、どうかと思う。街で愛玩猫や犬にいろんな衣裳を着せている人をたまに見かける。可愛い系のふりふりの服が多い。しかし、ここでは「作業服」。

「作業服」だからなにか作業をさせるつもりなのだろう。が、なんのために着せるかとは書いていない。言いっぱなしの、プチンと切れたテレビ画面のように印象に残った。それでしかたなく、どんな格好になるのかと想像してみたら、思いのほか存在感があり、ありえると思った。

「タスマニアデビル」と「作業服」の言葉で作った像が不思議なインパクトをもって迫ってきた。ガチガチの批評性はなさそうだが、ほんのりとした悪意がありそうである。「はなわらび」(2014年刊)収録。

2015年10月1日木曜日

●戦前

戦前


戦前・戦後・正午・服部時計店  高野万理

蟬しぐれもはや戦前かもしれぬ  攝津幸彦

戦前を鼠花火はくるしめり  三橋敏雄