2018年3月8日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








しれぬ世や釈迦の死跡にかねがある 西鶴

『白根草』(延宝8年・1680)

聖なる神仏と俗なる金銭とのリンク。
前書が何種類か残ってるが、一句として鑑賞しよう。

上五の「や」は文語の切字というより、大坂弁の詠嘆に近いだろう。典型的な初期俳諧の口語調だ。

〈想定外の浮世や。無欲を説いたお釈迦様かて、死に跡にヘソクリ残しとる〉

意外なことの喩えとして、釈迦の私金(わたくしがね)という諺が当時あった。諺の引用はブームだった。

(下五は近松の浄瑠璃っぽく「ね」「る」をやや高音で)

ところで一茶なら「涅槃図に賽銭箱」と解する(解した?)だろうか。自分でもこんな風に詠んでる。

  ねはん像銭見ておはす顔も有  一茶「七番日記」
  御仏や寝てござつても花と銭   仝「八番日記」

一茶の文化句帖には浮世草子に関したメモも残ってる。ある面、一茶は遅れてきた談林派だった。たぶん。

2018年3月6日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド10 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド10

福田若之・編

電話に関する綺譚、怪談、悲劇も、かぞえあげたら一冊の本になるくらい多いだろう。私にも、ひとつ思い出がある。子供の頃うちで電話を買ったが、前の持主は事業に失敗した商人だった。彼はいよいよ明日は電話をはずされるという前夜に、その電話機に紐をかけて縊死してしまった。仕事のゆきづまりで、もうどうにもならなかったのであろうが、大切な電話を失うことも大打撃だったにちがいない。それだけでも不吉な電話なのに、番号が「四二番」で「死に」通じるのだった。この二重に不吉な電話は、私の家でも気味悪がってしばらくひきとらずにいたが、そのうちにやむなくひきとって、茶の間の押入の中につけられた。重い板戸のなあで、ジーン、ジーンと電鈴がなると、先の持主の恨めしそうな声でもきこえてきそうで、私はたちすくんだのだった。
(式場隆三郎『二笑亭綺譚』、式場隆三郎ほか『定本二笑亭綺譚』、筑摩書房、1993年、57頁。太字は原文では傍点)



 どんな都会も、どんな近代国家も、電話帳というあの本質的な物体、検討されることあまりにすくないあの不朽の著作が欠けていたら存続しえないでありましょう。
(ミシェル・ビュトール「文学、耳と眼」、清水徹訳、ミシェル・ビュトール『文学の可能性――文学、耳と眼』、清水徹ほか訳、中央公論社、1967年、148頁)



広告のなかでも、電話帳広告には寿命の長いコピーが必要である。これが購入を決めているか、決めかけている人々には有効に働く。しかし特殊なこと、たとえば価格のようなものの表示は好ましくない。変動するからだ。この点は、イエローページ業者団体YPPA、広告業者、出版社、広告主とも、価格ははっきり表示しない広告コードをもっている。チラシ広告ではないのだ。そのかわり、チラシは、一日、ときには数秒で捨てられるが、電話帳は一年、半年と保存される。ときに図書館など数十年も貸出す。
(田村紀雄『電話帳の社会史』、NTT出版、2000年、271-272頁)



電話帳やタウン情報誌に見るような情報(記号)空間と都市空間との対応関係に相当するものは、文学テクストの場合にも指摘することができる。そのもっとも見易い例は、実在の地名が意図的に挿入されている都市小説である。私たちがまだ訪れたことがない都市であっても、小説のなかで出会う街の名前には、空想をそそりたててやまないふしぎな色彩や響きがこもっているが、その一方で、作中人物の動きにそって紹介される街の名や通りの名や橋の名の連なりは、都市の解読についやされた作者の精神の歩行を解きほぐす糸口になる。作者の愛着がしみとおっている地名の集合そのものが、都市というテクストから切りだされたメタテクストを構成しているといいかえてもいい。
(前田愛『都市空間のなかの文学』、筑摩書房、1992年、24頁)



ちよつと最初の詩を讀んで御覽なさい。いや、あなたは河童の國の言葉を御存知になる筈はありません。では代りに讀んで見ませう。これは近󠄁頃出版になつたトツクの全󠄁集の一册です。――
(彼は古い電話帳をひろげ、かう云ふ詩をおほ聲に讀みはじめた。)

 ――椰子の花󠄁や竹の中に
   佛陀はとうに眠つてゐる。

   路ばたに枯れた無花󠄁果と一しよに
   基督ももう死んだらしい。

   しかし我々は休まなければならぬ
   たとひ芝居の背景の前󠄁にも。

(芥川龍之介『河童』、『芥川龍之介全集』、第8巻、岩波書店、1978年、372頁。ただし、ルビは煩雑になるため省略した)

2018/1/6

2018年3月5日月曜日

●月曜日の一句〔上田五千石〕相子智恵



相子智恵






暮れ際に桃の色出す桃の花  上田五千石

松尾隆信『上田五千石私論』(俳句四季文庫36 2017.10)所収

元句は『森林』(牧羊社 1968年刊)所収だが、『上田五千石私論』で出会った。松尾氏によれば、五千石は第一句集『田園』後のスランプから脱するために「眼前直覚」を自身の理念としたという。「心の状況が眼前と結びつくこと」ということだが、その後、生涯をかけて、この理念の範囲は「眼前を起点とした飛躍」にまで変遷を遂げていく。その変遷が本書では句と共に時系列で丁寧に描かれていく。

さて、掲句。桃の花の色は日差しによって見え方が変わるが、本当の桃の花の色を出すのは日暮れ間際だという。色濃く、薄暗い桃色、その色こそが本物の桃の花の色だというのである。

〈出す〉という言葉が選ばれることで、強さが生まれている。この色を出すのは桃の花の意志であるかのように読ませながらも、それはもちろん自身の思いだ。“心の状況”が出ている部分だと言えるだろう。

暗い、濃い色こそ桃の花。その美しい断定が、読む者を惹きつける。

2018年3月4日日曜日

〔週末俳句〕写真 近恵

〔週末俳句〕
写真

近恵


カメラ付きの携帯電話を持つようになってから、そっちこっちで写真を撮るようになりました。それまで私はカメラを持っていませんでした。必要なときには使い捨てのカメラを買って、でも結局現像に出し忘れたままだったりとかして。デジカメも持っていません。でもSNSに投稿するようになり、スマホに替えたら更に写真を撮る量が増えました。インスタ映えする写真を撮りたいという訳でもなく、まあ自分の記録の為にというところでしょうか。スマホのカメラの性能の素晴らしい事。もうデジカメとか買う必要もなくなりました。まあもっとも、立派な一眼レフのデジカメが以前懸賞で当たり、一台は家にカメラがあるのですが、使い方がよく解らず、しかも重たい。なので結局その一眼レフを持って出かけることはありません。


桜や梅など、いくら撮っても毎年変わり映えする訳ではないのに、なぜか毎年撮ってしまう。散歩の時も旅行の時も、とにかく目に付いて気になったら直ぐに撮る。なんでもかんでも。だから吟行の時も俳句を考えるより、面白いものや気になるものを見つけては写真を撮っている方が多い。俳句は後で席についてから短冊を目の前にすればなんとか出来るもんです。いや、私の場合ですが。記念写真や人物の写真はとても少なく、殆どが景色や物です。また、食べ物の写真も少ない。いつか使えそうだと思う食べ物の時しか運ばれてきた食事を写真には撮りません。食事はまず食べることが先なのです。

写真は俳句を作る時には時々役にたったりします。写真に写っている物で俳句を作るよりも、その時の気分を思い出してそこから俳句になる言葉を探していくので、被写体よりも被写体を見ていた自分の気持ちを思い出したくて写真を撮っているのかもしれません。だから腕も一向に上がりませんが、別にかまわない。写真家を目指しているわけでもないですし。


最近撮った写真で気に入っているのはこの写真。日曜日の作りかけの道路。そしてこの写真を見ているうちになぜか思い出した一句。

  梅咲いて庭中に青鮫が来ている  金子兜太

梅を見に行った後に通った場所で出会った景色だったからかもしれません。亡くなったばかりだからかもしれません。人の頭の中は不思議です。写真を見ているうちに、その写真とは全然関係ないことを思い出したりしてしまうのです。

2018年3月1日木曜日

●新妻慕情 非婚化に抗ふ 上野葉月

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新妻慕情 非婚化に抗ふ  上野葉月

新妻の真ん中に置く春隣
一月の新妻セラミックの切れ味
新妻が映画のやうに春の雪
新妻のふふふ魚氷に上りけり
新妻を見分ける力佐賀や滋賀
早春のグラス新妻一柱
梅咲けり新妻少し焦げてをり
如月の新妻鎌倉ハムに似る
菜の花の小袖を通す割烹着
新妻が新妻を呼ぶ春炬燵