2023年12月11日月曜日

●月曜日の一句〔南十二国〕相子智恵



相子智恵






てのひらのよろこんでゐる寒さかな  南十二国

句集『日々未来』(2023.9 ふらんす堂)所収

掲句にふと立ち止まり、なぜ、てのひらは寒さを喜ぶのだろうか。寒さじゃなきゃ駄目なのだろうか、他の季節だったらどうだろうか……と、ひとしきり心の中で句を転がしてみて、ああ、これはやっぱり「寒さ」なのだなあ、と思う。

冷たい雪つぶてを握る手のひらの感覚、寒さにかじかむ手のひらの感覚、寒さをしのぐために両手のひらをごしごし擦り合わせたり、ハンドクリームをつけたり、手袋をするのもほとんど冬だけだ。誰かと手をつなげばてのひらは温かい。
思えば、こんなにもてのひらから何かを感じ、てのひらに意識が向くのは冬だけかもしれない。

本書には〈飯食へば手のひら熱し冬の山〉という句もあって、これも不思議な取り合わせの冬の句だ。寒い日、温かい食事を食べて手のひらに熱が戻ってくる感覚はよくわかる。手のひらには、冬が似合うような気がしてくる二句である。

 

2023年12月8日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



火口へと規則正しく毬跳ねる  樋口由紀子

ただただ、景色を、あたまの中に描く。経緯や事情などは書かれていないので、わからない。想像しようもない。火口に落ちたその先も、あまりわからない。見えないほど深い火口かもしれないし。

「規則正しく」が眠りを誘い(まるで催眠術の振り子のように)、この景色は夢魔めく。

掲句は樋口由紀子句集『ゆうるりと』(1991年3月15日)より。

2023年12月4日月曜日

●月曜日の一句〔小澤實〕相子智恵



相子智恵






よどみにうかぶうたかたがわれ去年今年  小澤 實

句集『俳句日記2012 瓦礫抄』(2022.12 ふらんす堂)所収

あっという間に師走である。すぐに〈去年今年〉となるのだろう。掲句、言わずと知れた鴨長明『方丈記』冒頭の本歌取りである。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

川の水の流れは絶え間なく、淀みの水面に浮かぶ飛沫は消えては生じる。その泡の一つこそが自分だというのである。

第3句集『瞬間』以降、2000年から2011年までの句が、このたび第4句集『澤』(2023.11 角川文化振興財団)として刊行された。『俳句日記2012 瓦礫抄』は2012年の句だから、句の発表順としては第5句集に当たる。この2冊を合わせて、ようやく結社誌「澤」創刊(2000年)以降12年間(作者の40代半ばから50代半ば)の句を通して読むことができることとなった。私自身は結社誌「澤」に創刊から属しているので、『澤』『俳句日記2012 瓦礫抄』の句集に収められた句は既に結社誌で読んでいる。しかし、句集として凝縮・精選されたかたちで読むと、その時は気づかなかったことに気づく。次のような句の流れに(この三句が偶然か意図したものかは全く知らない)読者として新たに出会ったりするのである。

ケフチクタフケッシテ死ナナイデクダサイ 『澤』熊蟬領(平成十二年・十三年)

若楓を透くる日生キテヰテヨカッタ 『澤』生キテヰテヨカッタ(平成十八年・十九年)

百年後全員消エテヰテ涼シ 『澤』香水杓(平成二十年・二十一年)

上から、平成13年(2001年)、平成18年(2006年)、平成21年(2009年)の発表作である。どれも生死についての句で、どれも片仮名だ。〈ケフチクタフ〉の句は、「澤」創刊の1年後の発表。制作はもっと早いだろう。「澤」創刊時の風当たりは厳しく、創刊前の悲壮な顔を知る身からすれば、この祈りは誰から誰へのものかは分からないものの、小澤にとって重い句だと想像される。〈若楓を透くる〉は創刊5年を過ぎた辺り、先師の死後である。〈百年後〉は、創刊10年を迎える辺りだ。勢いの強い頃である。

〈百年後〉の句からは、〈虚子もなし風生もなし涼しさよ 小澤實〉という第1句集『砧』所収の句がうっすらと浮かんでくる。〈風生と死の話して涼しさよ 高浜虚子〉の本歌取りだ。〈百年後〉は句集『澤』の帯裏の自選句にも選ばれていて、うまい句だとは思うが、私個人としては正直あまり好きではない。神の視点、天からの視点(だからこそ美しいともいえるが)を感じるからだ。

〈よどみにうかぶ〉の句の話に戻ろう。〈百年後〉と〈よどみにうかぶ〉の句の間にあった大きな出来事がある。東日本大震災だ。〈百年後〉は震災前、〈よどみにうかぶ〉は震災後の句なのである。私は〈よどみにうかぶ〉の句が好きだ。〈百年後〉と同じ無常観の句であるが、それでも、川の中に浮かんでは消えていく一つの泡が自分であり、悲しみの視点が翻弄されていく人間の側からの、地からの視点を感じる。

もっと言ってしまえば、ジェノサイドの苦しみの中にある〈よどみにうかぶ〉から11年後の現代は、〈ケッシテ死ナナイデクダサイ〉の句に、私は一番、共感している。

2023年12月2日土曜日

◆週刊俳句の記事募集

週刊俳句の記事募集


小誌『週刊俳句』がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

【転載に関して】 

同人誌・結社誌からの転載

刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。 ※俳句作品を除く

【記事例】 

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。かならずしも号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2023年12月1日金曜日

●金曜日の川柳〔青砥和子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



音程を外して止まる救急車  青砥和子

近くに救急車がやってきて、停車するのを見たり聞いたりしたことはあるが、サイレンがどのように止むのか、記憶がない。というか、一度も意識したことがない。

ぴーぽーぴーぽー、なのか、うーうー、なのか、いずれにせよサイレンには音程があって、停車のときには、そこから外れるのだろうけれど(きっと下がる)、それを意識したことはなかった。

聞いている/経験しているはずなのに、聞いていない/経験していないものが、こうして書かれていることは、大げさにいえば、世界の要素の新しい提示である。これは、「そうそう、音程、外れるよね」といった「共感」よりも、きっと意義深い。

救急車の出動は、シリアスな事態なのだろうけれど、こうしてシリアスな文脈から外れていくのも、川柳、さらには俳句の在り方だと思う。

掲句は青砥和子川柳句集『雲に乗る』(2023年11月20日/新葉館出版)より。