2018年1月31日水曜日

●本郷

本郷

夜桜やうらわかき月本郷に  石田波郷

本郷の五月は青し薄荷糖  中村苑子

本郷や鶴のごとくに白地着て  横沢哲彦〔*〕

本郷に脛吹かれゐる野分かな  沢木欣一

金借りて冬本郷の坂くだる  佐藤鬼房


〔*〕横沢哲彦句集『五郎助』2017年5月/邑書林
http://youshorinshop.com/?pid=118892631

2018年1月30日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド5 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド5

福田若之・編


1861年,音楽のメロディーを初めて電気的に遠くへ伝えたのはフィリップ・ライスであった。ライスはその機器を「電話」("Telephone")と呼んだ。
(Michael Woolly「電話の発明と発達」、『電話百年史――国際電話を中心として』、国際電信電話株式会社(経営調査室統計調査課)監訳、国際電信電話株式会社、1976年、2頁)



便利さは人間を孤立させる。それは他方で、受益者を機構に近づける。十九世紀半ばにおけるマッチの発明とともに、一連の革新が登場する。それらの共通点は、多数の要素からなる過程を、手のすばやい操作ひとつで始動させることである。この発展は多くの領域で進行する。なかでも電話の例がわかりやすい。以前の器械ではハンドルをたえず回していなければならなかったのが、いまや受話器をとるだけになった。
(ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」、『ベンヤミン・コレクションI――近代の意味』、浅井健二郎編訳、久保哲司訳、筑摩書房、1995年、449頁)



電話の発明百周年にあたる1976年中に世界で4億番目の電話機が設置されるものと思われる。これら電話機の一つ一つが,他の任意の電話機と通話するためには,全世界の電話網は8京(兆の1万倍)の異なった通話接続ができる容量がなければならない。実際に,毎日約15億回の接続が行われており,そのうち150万回(米国とカナダ,メキシコ間の通話は除く)以上は国際電話である。
(J.S.Ryan「百年目を迎えた信号方式と交換方式」、『電話百年史――国際電話を中心として』、国際電信電話株式会社(経営調査室統計調査課)監訳、国際電信電話株式会社、1976年、76頁)



今日でも、電話加入権を売却したり、また質に入れて金を借りることができる。したがって、電話は財産であるが、しかし前述のように、明治から昭和の半ばごろまでは、今日とは比較にならないほどの市場価格であったから、この時代の電話は「一大財産」であった。さらにいえば、単なる「財産」というよりも「財宝」であった。そのため、電話の顔である「電話機」は、たいへん大切にされた。
(逓信総合博物館監修『日本人とてれふぉん――明治・大正・昭和の電話世相史』、逓信協会、1990年、23頁)

2017/12/27

2018年1月28日日曜日

〔週末俳句〕海鼠の遺影 西原天気

〔週末俳句〕
海鼠の遺影

西原天気


≫丸田洋渡「潜水」を読む:柳元佑太
https://note.mu/snoopyanagi915/n/n1013abcfc705

〈丸田洋渡が十一月十一日にツイッターで発表した「潜水」13句〉を取り上げた記事。

ざっと拝読。《遺影えいえん微笑んで水涸るる》とか《書架たちくらみ霜月今おやすみ》とか、いいですよね。



結社誌『鷹』2月号をめくる。

安ければ速き床屋や都鳥  小川軽舟

都鳥がいいな、と思う。なぜだかわからない。「なんともいえず、いい」というしかない状態は、いつまでも続きそうだ。その季語が、どうして、いいのか? そこは解明できないまま。それでもまあいいかと思う。



『鷹』誌でもうひとつ。

奥坂まや「われら過ぎゆく 野生の思考としての季語」10

レヴィ=ストロースの用語「野生の思考」を、これまで俳句業界でしばしば用いられた「アニミズム」に換えて使用することの説明に、文化人類学/社会人類学の歴史を概説したうえでレヴィ=ストロースの当該用語を位置付ける。

後半は海鼠句。江戸俳諧から多く例句がとられている点、興味深い。句ごとの解釈は、かなり踏み込んでいる(悪く言えば無理筋も感じる)。いずれにせよ、海鼠をたくさん読めるのは嬉しい(≫ウラハイ:海鼠)。



さて、これから句会。自分がやってる句会なので、短冊を用意する。きれいな短冊をどこかで調達すればいいんだろうけど、月に一度、A4の反故をカッターと定規で8等分する作業は、きらいじゃありません。




2018年1月27日土曜日

●俳句

俳句

ギイと鳴く夜の戸口の俳句かな  松本恭子〔*〕

和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男  正岡子規

秋風や眼中のもの皆俳句  高浜虚子

極道の一つに俳句霜の声  高野ムツオ

霜柱俳句は切字響きけり  石田波郷

志俳句にありて落第す  高浜虚子


〔*〕松本恭子句集『花陰』2015年6月/あざみエージェント

2018年1月26日金曜日

●金曜日の川柳〔松永千秋〕樋口由紀子



樋口由紀子






夕暮れのキリンの首や象の鼻

松永千秋 (まつなが・ちあき) 1949~

人にも動物にもそれぞれ特徴がある。「キリンの首」や「象の鼻」は他の動物と比べて、特別で、どうしたって目立ってしまう。それは優性であり、長所だと私は思っていた。しかし、掲句を読んで、それは他の動物と違う部分を持って生きていかなければならない、生き難さなのかもしれないと思った。

もうすぐ日が落ちる。無事に一日が終わる。その束の間の夕暮れがキリンの首も象の鼻もすっぽり包みこんでくれる。夕暮れの優しさが長い首も長い鼻もみんなと同じように公平に、まるごとそのままを抱えこんでくれる。せつなくなった。せつなさには哀しみがある。せつなさも哀しさも優しさにつながり、愛である。そのようにキリンや象を見ている作者にじんときた。「川柳杜人」(2017年冬号)収録。