シネマのへそ12
『サブウェイ123 激突』
(2009年 トニー・スコット監督)
村田 篠
ニューヨークの地下鉄でハイジャック事件が起こる。武装グループはペラム駅1時23分発の電車の1両目だけを切り離して立てこもり、乗客19人の身代金としてニューヨーク市長相手に現金1000万ドルを要求する。タイムリミットは1時間後。
ストーリーは明快だ。その日たまたま運行司令官を務めたために事件に巻き込まれる地下鉄職員・ガーバー(デンゼル・ワシントン)と、主犯のライダー(ジョン・トラボルタ)の間で行われる交渉を軸に、ニューヨーク市長や警察の動向、タイムリミット目指して地上を走る現金輸送車のカーチェイス、地下鉄の暴走に至る「ニューヨークのひどい1日」が描かれる。
1973年に公開された『サブウェイ・パニック』のリメイクだが、当時とはまったく変わってしまった通信事情や都市機能をうまく取り込んで再構成されている。ことに、ガーバーにはじつは裏の事情があり、インターネットで偶然それを知ったライダーによって人質の命と引き替えに露わにされてゆくあたりは、スリリングでありつつヒヤリとするような日常性もあって、ぐいぐい引き込まれた。
というわけなのだが、エンドマークが出て劇場をあとにするとき、うっすらと腑に落ちないものが残ったのはどうしてだろうか。
ひとつには、この映画が「謎解き」の機能を果たしていないからだ、という気がする。ガーバーとライダーの間に交わされた会話の内容は、たんに「駆け引き」だったのか、それとも事実なのか。曖昧さが「あえて」なのか脚本の疵なのかは分からないけれども、脚本が『ミスティック・リバー』や『LAコンフィデンシャル』のブライアン・ヘルゲラントと聞くと、あえてドラマティックに仕立てず観客に解釈をゆだねたのか、いう気もする。
もうひとつは、ライダーの人物像だ。悪役としての強烈なインパクトを持ちながら、結局どういう人なのか、話が進むほどにだんだん分からなくなり、分裂してゆく。
トラボルタが大根なのか、演出ミスなのか、はたまたこれも「あえて」なのか。
ガーバーの人物像が明確だったことを考えると、映画はガーバー側、つまり一般市民側の視点で描かれている。思えば、「こちら側」から見たときそこにある「犯人像」というのは、じつはかんたんには理解しがたいものだ。テンタテインメント作品では御法度の「腑に落ちない」ということが、犯人像が見えにくいという都市型犯罪を、かえってリアルに感じさせてくれているようにも思える。
このあたり、もちろん賛否両論はあるだろうけれど。
電車の中で事件の一報を聞いたニューヨーク市長の描写が笑わせる。「車を用意しましたので、次の駅で電車を降りて下さい」という市職員に、「いや、このままいこう。電車の方が早い」と答える市長。「では、現場近くまでノンストップで走らせます」とすかさず答える市職員に、「えー!」と周りの乗客から強烈なブーイング。市長、思わず手を挙げてみなを抑え「分かった、分かった。各停で行こう」。日本では、なかなかこうはいかない、かもしれない。
車で地上を現金輸送していると聞いて「どうしてヘリコプターを使わないんだ」と突っ込んだ一言(だれのセリフか忘れたが)も面白い。あはは、そのとおり。この時代に、旧作どおりの方法を踏襲したオマージュの心意気を思い出させる一言に、拍手。
パニック度 ★★★★
「映像凝りすぎ!」度 ★★★★★
≫オフィシャルサイト
2009年9月14日月曜日
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