2009年9月26日土曜日

●ちんどん屋

ちんどん屋

羽田野令


詩誌「めらんじゅ」を送って頂いた。読んでいると、ちんどん屋について文章があり、感動した。めらんじゅの編集者の寺岡良信氏の書かれたもの。「落語少年」という題のエッセイの中にある。その箇所を抜き書きする。
子どもたちの間でチンドン屋の真似も流行った。木枯らしが路地の奥で鳴る季節になると、チンドン屋が街の辻に来て歌舞伎や新派や新国劇もどきの問答をする。私たちは「知らざあ言って聞かせやしょう」とか「いやさ、お富、久しぶりだなあ」とか「別れろ切れろは芸者のときに言うものよ」とか「知らねえ姿の、土俵入りでござんす」とか、そんな決まり文句を珍妙な見得を切りながら、粗悪な隈取りが汗で流れるのを厭いもせず一心不乱に演ずる、まれ人たちの演技に魅了された。それは至福の時間であり、今も至福を伴う記憶であり、私の言語の深い部分をいつも洗っては沖に拉致しようとする量感ある海の鼓動である。
これを読んで、「週刊俳句」八月の八田木枯さんの十句を思い出した。十句のうちの後半五句はちんどん屋を詠んだもので、自在な作風、という感じがしてとても好きだった。後半五句を下記にペーストする。

チンドン屋片足あげて勤行す  八田木枯
チンドン屋末法の世の鉦を打ち
チンドン屋踊りくねつて世を拗ねて
踊らねばならぬと踊るチンドン屋
チンドン屋踊る生生流転かな

どこからか辻々にやって来たまれびと。かつてはある時季になると現れて去っていく、様々な職能集団があった。どこからかとは、村人にとっては異界からである。彼等は村に町に非日常の様々をもたらした。

ちんどん屋は広告業の一つであると、今になってはわかっているが、小さい頃は不思議な人たちであった。付いて行ったらいけませんよ、等と言われた記憶がある。

「知らざあ言って聞かせやしょう」が誰でも知っている言葉だったのは、もう昔のことなのである。そういう言葉は、高度成長以前までは、まだ口から口に伝えられる余地があったのだ。


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