2010年3月2日火曜日

●コモエスタ三鬼09 東京スペクタクル

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第9回
東京スペクタクル

さいばら天気


手品師の指いきいきと地下の街  三鬼(1936年)

自句自解に「日本劇場地下街。手品師がトランプをあやつつてゐた」〔*1〕とあります。

日本劇場(通称・日劇)は1933年12月24日、東京・有楽町に開場した地下3階・地上7階の大規模劇場施設。1981年に解体され、跡地に建っているのが有楽町マリオン(1984年開業)です(西武、今年の暮に閉店しちゃうんですね)。


「陸の龍宮」日劇誕生(本地陽彦)によれば…
24日の開場式の後は、「非常時小国民大会」、「国防献金有料試写会」といった、当時の世相を物語る催しが続き、大晦日より川畑文子出演による「踊る1934年」のレビュー、そして「ゴールド・ディガーズ」、「カヴァルケード」の洋画二本で本格的に新春興行をスタートさせた。明けて1月13日には、あのチャップリンの名作「街の灯」も封切られる。
…といったぐあい。演目を見ただけで、昭和8年(1933年)当時の東京の活気や喧噪が聞こえてきそうです。

戦間期(1918-1941)の東京の娯楽地といえば、古くからの浅草がまずひとつ。そして娯楽地として新興の丸の内、日比谷、有楽町あたりが栄えました(日比谷に映画館が多いのはその名残ですね)。2つの娯楽中心地は〔浅草=伝統・和風=庶民的〕vs〔丸の内付近=ハイカラ=モガモボ的〕の対照をなし、後者のシンボルのひとつが日劇でした。

古川ロッパ(1903 - 1961)は1933年に浅草で劇団「笑の王国」を旗揚げ、1935年からは有楽座(丸の内)に進出。エノケンと人気を二分する大喜劇人となります。ロッパの日記〔*2〕で昭和11年(1936年)、「手品師」が作られた年です、その3月には、日劇での10日間公演のことがいきいきと綴られています。
三月十一日(水曜)(前日深夜から続くリハーサルは)青い街が段々明るく白くなり切った七時頃、漸く「さらば青春」のフィナレが終った。おつかれさま、おつかれさま、本当に。午前七時半帰宅。三時間眠って十一時起き、日劇の前迄来ると、大分つゝかけてゐる様子だ。安心して楽屋に入る。
(…)
三月十五日(日曜)(…)何といふ男としての幸運が僕の上にふりかかってゐることであろうぞ。日本の東京、そのまん中の東洋一の大劇場を、満員にしてセンセーションを起してゐるのだ。死んでもいゝ、死んでも本望--此の上何を望むべきか、といふ気持である。神も仏も護らせたまふ、幸な僕である。
浅草のおっちゃんおばちゃんにウケたネタが、有楽町のサラリーマンや学生にもウケるのか、不安のまま懸命に舞台を務め、みごと成功を収めた高揚感が伝わります。

三鬼が、古川ロッパの演し物を観たかどうかは知りませんが、掲句の「地下の街」は、いま私たちが「地下街」として理解するものとはちょっと違うようです。

いま地下街で「手品師」と聞いたら、手品のネタの実演販売を想像してしまいますが、当時は、小さなショウのようなスタイルで手品を見せていたのでしょう。ひょっとしたら大道芸のようなかたち。客引きのアトラクションだったかもしれません。いずれにしても、「手品師の指」は、東京の娯楽地、すなわち新しさという熱を帯びた娯楽地で遭遇した小さなスペクタクルだったにちがいありません。

自解で、三鬼は次のようにも書いています。
その地下街から出て数時間の間は頭の中で手品師の指がヒラヒラして落付かなかつたが、この句が出来てやつと落付いた。
「陸の竜宮」と呼ばれた日劇の地下街が「海底」のような不思議な空間であったなどといえば、言葉を弄するにすぎませんが、「東京1936年」というモダニズムの物語のなかで、私個人が三鬼の「手品師」の句を愉しむぶんには、誰にも迷惑がかからないでしょう。



さて、ロッパの日劇公演は無事終了。
三月二十日(金曜)日劇十日間昼夜二回、完全に満員で打ち通した。(…)さてハネると幸楽に於て、当り祝ひといふことになった。(…)大辻が酔っ払ってゝ例の通り自分を売りたがる嫌な演説(…)
この「大辻」が、

大辻司郎象の藝當みて笑ふ  三鬼(1936年)

の大辻司郎(1896 - 1952)。漫談家の草分けで、ロッパの一座でも仕事をしたようです。戦後、有名な民間機墜落事故「もく星号墜落事故」で亡くなりました。

この句は「サアカス」3句の第3句目。隣の「道化師や大いに笑ふ馬より落ち」はアンソロジーなどにもよく載りますが、人名句「大辻~」は語られることがあまりありません。

大辻司郎という芸人を、私は(映画やフィルム等を含め)見たことがありませんが、名跡をほぼ継いだ息子、大辻伺郎(1935 - 1973)は知っていて、「大辻」の句を読むと、息子の伺郎の顔を思い出してしまいます。



日劇の話やら古川ロッパの話やら、三鬼にも俳句にも繋がらない四方山話ですが、今後もこんな感じで、横道に逸れようと思います。評伝やら俳句論を書こうというのではまったくないのですから。

当時のことも軽く調べつつ、三鬼と遊ぶ。先を急がず、たらたら遊ぶ。実は、これ、当シリーズの主旨に適っているのです。


(つづく)

〔*1〕自句自解:『俳句現代』2001年1月号(角川春樹事務所) 読本 西東三鬼 所収
〔*2〕『古川ロッパ昭和日記・戦前篇』(1987/晶文社)

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