ホトトギス雑詠選抄〔11〕
春の部(三月)鮊子・上
猫髭 (文・写真)
魳子のしの字に焼けつくの字にも 内田慕情 昭和7年
ときなしのいかなご舟に市もなく 安宅信一 昭和11年
鉄枴の下にいかなごすなどれり 阿波野青畝 昭和1?年
いかなごにまづ箸おろし母恋し 高浜虚子 昭和19年
先週今週と立て続けに兵庫の句友たちから鮊子の釘煮が届いた。以前、明石の魚の棚(うおんたな)を関西の句友たちと吟行したときに、魚の棚近くに住まうMさんが手作りの鮊子の釘煮を持参してくれて、これが虚子命名の丹波の銘酒「小鼓」と相俟って、舌鼓がぽんぽんたんたん、耳を聾するほどおいしかったので、今年も送ってくれたのだが、我が家のも御賞味遊ばせと、神戸にお住いのKさんも「春光の母の伝授の釘煮かな」という句を添えて、送ってくれたのだ。
Mさんの釘煮は山椒味で、Kさんちのは生姜味が効いている。どちらもおいしい。噛み噛みしていると、甘辛い味がじわあっと広がったあとから、明石海峡から播磨灘に広がる鹿之瀬の海が口中を満たす。掲出句の虚子の句ではないが、春になると明石や神戸は鮊子が春の風物詩で、各家庭の「おふくろの味」を伝えているのはKさんの句でもわかる。
わたくしは東男なので、鮊子を小女子(こうなご)と呼んで塩茹でしてから干してジャコにして食べる。鰯のシラスよりも野趣にあふれた味で、色もくすんで硬いので、大根卸しで食べるよりも、大根の茎と葉っぱをざくざく切って、胡麻油で一緒に炒めたりすると、これは第一級の酒の友飯の友になる。妻は京女なので釘煮ではなく、もっと小さいシンコを使った縮緬山椒を食べる。しかし、鮊子と言えば兵庫で、鮮度が命と、獲れたという一報が入るやいなや、奥さん連中が自転車に大鍋を括りつけて大挙して魚屋へ駆けつけ、取って返して釘煮にするそうな。
今はわたくしが生まれた大洗の母の実家の前は、磯が埋め立てられて魚市場になってしまったが、春の風物詩と言うと、子どもの頃のシラス漁を思い出す。真鰯の子どもを皆で網を引いて掬うのである。今住んでいる逗子の小坪から腰越にかけてもシラスが名産で、獲れたては殊においしく、生姜を摩り下ろして醤油をぶっかけて食うと、これがたまらない。口中モキュ♪モキュ♪である。真っ白で柔かい釜揚げシラスもまたよろし。昔は、どこの浜でもその浜の春の風物詩があったが、開発が進んだのと漁の生業自体が廃れて、思い出の中でしか味わえなくなった。
鮊子という魚の習性も面白い。水温が15℃から18℃になると6月から11月頃まで夏眠をするのである。鹿之瀬の砂地に棲息し、夏眠しながら育ち、水温の低くなった11月下旬頃に夏眠から覚め、産卵する。稚魚は2月下旬から3月には体長3㎝位に成長し、これが釘煮になるというわけだ。
佃煮と違うのは、煮付けるときに、煮くずれしやすいので途中箸などで混ぜては絶対にいけないということである。江戸前の佃煮は、浅草橋の「鮒佐」の「海老」に代表されるように余り甘くない醤油味の濃い、どちらかと言うと塩っぱい味で、昔の人に聞くと、京都でも、昔の味は辛かったと言うので、これが佃煮本来の味なのだろう。海老の頭と尻尾とどちらが好きかで侃侃諤諤、辛口の酒を呑みながら時間がゆるゆると流れる逸品であるが、飯に乗せるとこれがまた居候でも堂々と三杯目のお替りが許されるほどの飯の友でもある。今では「鮒佐」と霞ヶ浦の北浦の鮒の雀焼ぐらいしか、佃煮の昔の味を伝える味が思い出せないほど甘い世の中になってしまった。鮊子も酒の友飯の友で、これは甘辛いが、佃煮ほど煮詰めていないので、子どもにも喜ばれる。
わたくしはMさんちとKさんちの釘煮しか知らないが、多分神戸・明石界隈には五万と釘煮自慢の家があり、それは各家庭の「おふくろの味」を伝えておいしいはずである。ちょびちょびつまむのではなく、がばりとつまんで口に放り投げて食う。うまい。
(つづく)
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