週刊俳句200号記念座談
上田信治×西原天気
いまだから話す創刊の頃のこと
今晩、2月24日22時頃から、この記事のコメント欄で、
上田信治・西原天気の座談やります。
それまでにお聞きになりたいことがあれば、質問として書き込んでください。
ご感想・ご感想、また雑談、ネタ振り等も、お気軽に、ご自由に。
なお、座談が始まってからも、自由に割り込んでいただいて結構です。
(まったく関係のない話wはいちおう、ご遠慮願います)
(ブログサービスが自動的にスパム扱いにしてしまい、表示が遅くなるケースがあります。お含み置きください)
(話題を拾う・拾わない、レスする・しないは、時間やタイミングの関係上、任意になってしまうこと、ご承知置きください)
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2011年2月24日木曜日
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101 件のコメント:
準備OKです。
ぼちぼちと。
はい、まず、書き込みの練習から。
ブッカーTとMGズのCDかけました。意味はないけど、なんとなく、これを前半のBGMに。
あ、もってるもってる。うちもかけました。
作業しながら見ます。
楽しみにしています!
じゃあ、同じ音楽で。
違うCDかもしれないけど、それは気にしない。
ちなみに、Hip Hug-Her ジャケが素敵。http://www.youtube.com/watch?v=e3wijetbFMs
お、ゐこまん!(いま付けた愛称)
天気さんは、定期刊行の雑誌スタイルを、いきなり思いついたんですか
いきなりと言えば、いきなりでしたが、そのまえにネット+俳句という時期があって、そのへんから言いますね。
(これ、連続投稿OKみたいですね)
週俳の創刊準備号は2007年4月22日。ちょっと回りくどくなりますが、2005年くらいからブログというスタイルが盛り上がってきた。俳句のインターネット利用は、掲示板(BBS)に投句するというコミュニティ的な使い方・遊び方が先行したわけですが、ブログの登場・普及で、「俳句について語る・書く」(まあ、批評的言説といっていいんですが)が活発化してきた。
ちょっと自分のブログを掘り起こしてみたんですが、信治さんと「鉱脈」という語でトラックバック(死語?w)のやりとりをしたのが2005年12月ですね。
信治さんは憶えてます? 私は、よく憶えている。
ありました!
俳句のレガシー、とか、的にもう一杯矢が刺さってるのに、というような。
そうそうw
なつかしいでしょ?w
(裏番組が「ブラタモリ」? 非常にまずい時間帯を選んでしまったようです)
自分は、あのころ、早大の二人、ユースケ君文香さんに誘われて、ハイクマシーンをはじめて、ブログは活動の一端だったんですけど、天気さんは、こう、ネットで、先に、おもしろいことを始めている人、というイメージでした。
天気さんは、当時のぼくら(ハイクマシーン)からすると、すこし先に、ネットで、おもしろいことを、始めている人というイメージでした。
そうですね。ネットで遊んでた。信治さんとは恒信風句会が初めての出会いでしょう? といっても御名前を見たというだけですが。
(あ、そうそう。以前にどこかで書いたりしゃべったりしたことも出てきますが、そのへんの重複・繰り返しは気にせず行きます。ぜんぶをお読にになっている読者なんていないから)
おじゃましまーす。
澤の原稿書き直しながらちらちら見てます。
明日締め切りです…。
観覧しております。「週俳」を知ったのは、天為で連載されていた「天為@俳句.com」が最初だったかと思い出しています。
ああ、自分、恒信風のネット句会がはじめて俳句を人に見せたあれだった。
たぶん、ハイクマのサイト開設は、その一年後で、よろしくお願いします、とメール(コメント?)したら、すぐ、コメントを返してくださったので、
おお、ネット、早ぇ、と。
あと、天気さんは、あれだ、けんかの強い人というイメージでしたw
【参照資料】 しんせつwww
鉱脈
http://tenki00.exblog.jp/d2005-11-07
鉱脈について
http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-6.html
「鉱脈」という考え方
http://tenki00.exblog.jp/2317649/
おお、皆様、いらっしゃいませ。
「天為@俳句.com」は嬉しかったですよ。
>けんかの強い人
www
会ってみると、やさしかったでしょ?
ネット人格というのは、リアルとはまったく別物ですからね。
いちど入ったと思った、コメントが、飛んだりしますね。
恒信風ネット句会というのは、遠藤治さんの幹事で、斉藤朝比古さんはいるわ、小林苑をさんはいるわ、東人さんはいるわ、小野裕三さんはいるわという。BBS句会はねえ、あまり紙の方でよく言われないですが、たいへん活発で。
スパム解除しながら、です。
ふたたび現れたと思います。
ネットの俳句好きのやりとりが、なんとなくあったまってるところに、
ある日、天気さんから、週一発行のwebマガジンをやるけれど、
1 ぜひ協力したい
2 協力したくない
3 関心がない
の一つを選んでご返信下さい、
というようなメールが来ました。
恒信風ネット句会は、時期にもよるけど、いろいろな人、挙げきれないくらいいろいろな人が、おもしろい句を出してた。
私が知っているなかで、一番のネット句会。
あ、そのメールw
引っ張り込みたいときに使う、私のツールです。
でね、ちょっと、遡ると、なにかの句会の帰りの中で、田島さんが「俳句のポータルサイトをつくればおもしろい」ってな話をされて、心の中で、「それはうまく行かないだろう」と。さしたる理由はないんですが。
でも、ウェブマガジンならおもしろいかも、と。
当時活発だったブログのやりとりを、ひとつの場所にまとめるイメージ。
それが2006年の夏から秋くらいだったと思います。
それが半年遅れて、信治さんの、そのメールを送ったのが、2007年の初めか3月あたりだったと思います。
そのちょっと前に、ちょうど、ハイクマシーンの雑誌化というのを、考えていました。
俳句って、ちゃんと頼めば書いてもらえるんだから、だれがメディアを作ったって、いいんじゃないの? と思いついて。
若い二人とやっていたということをアドバンテージに、インタビュー記事を作って、俳句を頼んで、と。
ハイクマの雑誌化を、ハイクマのBBSで見て、紙? なんでネットじゃなく? てなレスをしたように憶えてます。
あ、紙は、ユースケだったかな?
自分はwebで、と思ってたんですけど、いろいろあって。
で、天気さんのほうは、タイトル募集とかあって、「週刊俳句」に決まって、
総合誌評、書きませんか、ということだったので、書きます書きます。
里の成分表、転載しませんかというのも、こちらから頼もうと思ってたら、言ってきて下さったので。
こんばんは。来ました。
恒信風句会、俳句を始めたばかりだったころ、私も投句していました。すごく面白い句が出てくる句会で。
私が信治さんのお名前を初めて見たのは、あの句会でした。
って、だいぶ話が遅れててすみません。
私が動いて、信治さんを誘わなければ、ハイクマがやってたということですね。
歴史の偶然はおもしろいw
ところで、私からのメール、正直、どう思いました?
五十嵐さんにも、書き方は違うけど、創刊の主旨を説明したメールを送りました。五十嵐さんは、先日のブログには、「週刊? 本気?」的な返信をした、と書いてらっしゃいます。
http://blog.livedoor.jp/mumon1/archives/51572281.html
どうも。ハイクマの紙案、ありましたね。
インタビュー記事、くらいの話までは、あったなぁ。
それが、そのあと「週俳」の池田澄子インタビューとかで実現した。
もっと言うと、それは、最近の岸本尚毅インタビュー(信治&ゐこま君)に繋がってると、勝手に思って嬉しくなってます。
週刊もそうなんですけど、定期刊行と聞いて、パチッと、火花が散ったかんじがして。やられた感がありました。
webマガジンて、一個一個、記事が上がってくスタイルが多かった気がするんですよね。リゾーム的w?
それを、定期刊行にするっていうのが、記事がまとめて入れ替わるっていうことで、すごく紙の雑誌っぽい、パッケージ感が出るというか、雑誌像が「見える」ものになるぞ、っていう
イメージはできていたので、ブログの仕様をそれに合わせるだけでした。
Bloggerを選んだのは、バックがgoogleだから潰れないだろう。それと、むこうのサービスだから、ちょっと洒落てる。その程度でしたw
Bloggerでよかったのかどうなのか?w
●
で、あとは、誰が書いてくれるか? でした。
タダで。
しかもなんだかわからん奴がやってるものに。
しかもネットw
ひと言で言って、遊べそう、というかんじでした。
おお、アヤカさん、ども。
アヤカさん、こんばんはー。
●
ツイッターのほうでもつぶいやいてくれて人がいそう。
タグ、決めておくべきだった?
>あとは、誰が書いてくれるか? でした。
タダで。
当時から、たのめば、誰でも(ほんとうに誰でも)書いてくれるはず、と思ってました。
俳句はタダだから、っていうのが、雑紙作っちゃえるんじゃないの、と思った、根本にあるところで。
BGMをElis Reginaにしてたりして。
創刊準備号、創刊号と、4人ですね。
五十嵐さん、小野さん、中嶋さん。
そこからじょじょに増えて。
最初の頃は、信用をつくるのに腐心したかなあ。「ヘンなもの」と受け取られたら、数人の合同ブログで終わってしまうので。
既刊号の目次 000-020 を開いてみたんですけど、はじめの1〜2号で、もう今とあまり変わらない内容になっていて、
できあがりの早さに驚きます。
エリス・レジーナは、ルガー・コモンさんが動画で取り上げてた。いいっすよね。
では、私は和物で、ソウル・ボッサ・トリオ。
最初は、俳句を載せるつもりはなかったですよね。信治さんも私も。
豈ウィークリー・スタイル。
それが、川柳×俳句で、作品掲載が始まった。
俳句を載せない。
句集評やらない。
内輪で固めないための工夫だったと思います。
川柳×俳句は、よかったですね。終わった後の読み合わせがまた面白かった。
>内輪で固めないための工夫
そうそう。思い出した。
内輪の忌避。党派の拒否。
求心力はNG、遠心力◎。
●
ひと桁の号数は、なんかすがすがしく力(りき)が入ってますね。立ち上げ時期。
十二音技法とかの飛び道具と、連載のバランスをとったりしてw
十二音技法の記事で週俳を知りました。懐かしい。
9ー10号の「『俳句研究』2007年7月号「新鋭俳人競詠」を読む 」の、天気さんとの対談が、かなり、あれで。
パスって、すごいね、って、いろんな人に言われました。
>パスwww
あれはあれで工夫だったんですが(汗、
まあ、水に流してもらってw
●
ところで(と、話題を振る)その当時の自分のブログ記事を掘り起こしてみたんですが、
http://tenki00.exblog.jp/5257005/
これ、準備号のあとの記事。反響・反応のなかに「アンチ・俳句総合誌」みたいな声があった。そうじゃないという記事。
最初の頃は、なんだか、そういう勇ましいものと受け取る人も多かったのかなあ。
当初から、体制とこっち、古い権威とこっちという意識はなったのですが。
あれ、ぼくがアップ作業も手伝いだしたのは、このへん? たしか、小野さんの俳句ツーリズムの写真がいっぱいあった号だったような。
なつかしの「パス」!w
あのとき、天気さんって、やさしい人だなあと思いました。
>あれ、ぼくがアップ作業も手伝いだしたのは、このへん?
アップはそうかも。
>あのとき、天気さんって、やさしい人だなあと思いました。
理解者が、いる。約1名。
多謝でござんす。
追補
パスは、「ピンと来なかった句について、ぐだぐだ、センセのような口をきいてしまわないように」という配慮だったんですよね、信治さん。於;谷保のジョナサン
>天気さんって、やさしい人だなあと思いました。
ぼくがやさしくないみたいじゃないですか。
>「アンチ・俳句総合誌」みたいな声があった。そうじゃないという記事。
>当初から、体制とこっち、古い権威とこっちという意識はなったのですが。
でも、あること自体がオルタナティブではありますよね。
その気はなくても、嫌がらせになってる。
へんなことを言い出す人がいると、ばばばーとカウンターとなる意見が形成されたり。(週俳、というより、ネットが、そういう場として機能しているのかもしれませんが)
ネット全般あるいは週俳への嫌悪感は、昔も、今も、これからも、ある部分で存在していくんでしょう。
でも、そのカウンターである気はない。
私、へんなところで不遜で傲岸がところがあって、「相手にしたくない」(口にしてしまっては戦略的に台無しですが)。
ただ、「どうあるか」がそのまま答えですよ、という。
理念はない、というも関連がある。
理念を掲げるのは、「どうあるか」が決められないから。
「どうあるか」を決められたら、それがそのまま理念になるから、わざわざ掲げる必要がない。
>「相手にしたくない」
はい、その方針で。
ときどき「なんで?何で?」をやりたくなることがあるんですけどね。ネタとして。
理念という考え方をしないのは、もはや、風儀のようなものですね。
ネット+俳句の話題に興が乗らないのは、ネットへの無理解は「自分で解決しろ」ということがひとつ。その無理解を理解にひっぱろうとすると、自分が「インターネット派」(笑)と誤解されるのがイヤw
どれも違うよ、という。
何をやるか、何をやらないかは、リアルでもネットでも変わらない。(なのに、ネット人格が一人歩きするという哀しさ)
でも、まま、信治さんが言うように、ネタとして、なんで?はアリです。
●
このへんで、「週刊俳句をやっていて、楽しいこと・嬉しいこと」というダンドリっぽい話題に行きませんか?
天気さんのほうが、けっぺきなところがあるのです。
そうです。信治さんは、見かけに反して、ワルですw
楽しいことは、アップし終わってみると、今週もいい号だったと、思えることです。
物足りなかったら、自分で記事を起こして、力づくで辻褄をあわせる。
おお、一号入魂! カッコいい。
私の週俳で楽しいこと(つうか、これがあるから続けている)のひとつめ。
関さんがブログで、「発足当初は自分も関わることになるとは思っていなかった週俳だが、長く継続することでずいぶんと多くの人を巻き込み、引き出している。」と書いていらっしゃいます。
→リンク
これ、やってるほうとしては、「あ! こんな人が、こんな凄い人が書いてくれるんだ!」という感動。それは当初も今も変わらない。
それはいわゆるエラいひと、有名な人だけじゃなくて、知らない人、若い人も同じ。
200号の、佐怒賀さんと紗希さんの作品。良かったですよね。
俳句作品をいただいて、縦書きにして形を整えて、ぱっと器量が上がるのが、また楽しい。
関さんは、前田英樹講演の書き起こしを、mixiに上げてる人がいる、と安伸さんが日記に書かれていたことが、きっかけです。
いきなり、人間icレコーダーぶりを発揮されていて。
>縦書きにして形を整えて、ぱっと器量が上がるのが、また楽しい。
器量が上がる、いい言葉ですね。
関さんの最初はよく憶えてます。
第24号2007年10月7日
思えば、あれはエポック。
●
で、ふたつめ。ひとつめに関連するんですが、書いてくれる人にとって、週俳がなんらかの意味を持つと信じられるとき。これは楽しい。
一例を挙げれば、彌榮浩樹さんが「バンダナを巻かぬ鶏春の風」という句を週俳に寄せてくださいました。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/02/blog-post_15.html
その鶏が(おそらく)句集のタイトルになる。
あるいは、鴇田智哉さんのいまやキラーチューンといってもいい「人参を並べておけば分かるなり」は週俳の2008年12月です。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/12/blog-post_3941.html
もうひとつ。関悦史さんの22世紀に残るであろう句「人類に空爆のある雑煮かな」は2009年の新年詠です。
こうした「業績」っぽいことも、週俳らしくはないが、やはりとても嬉しく、とても大事に思ってます。
なんか挨拶ぽくって照れますが、本心です。
五十嵐さん、ども。
こないだ気がついたんですけど、天気さんと私、ふたりとも、生業が編集仕事で(私は、かなり、なんちゃって、ですけど)(なんちゃって、って、なつかしいなw)。
いや、それはともかく、目次の工夫で、記事が読みたくなるかんじ、とかタイポグラフィーとか、もともとかーなり、好きなんですよ。
>生業が編集仕事で
あっ、いや、西原天気は単なる俳句愛好者ですw
週俳でやってること=「編集」ではなくて、その、なんというか、ええと、ややこしいから、もういいです。
ほんと、残っちゃうんじゃないの!!?っていう句が頂戴できると、うれしいですね。
週俳に、うっかりいい句が出てしまうというジンクスが、あるような気がしています。
関さんから、ツイッターの方で、「天気さんと上田さんはこの前の商店街の喩えでいうと何屋になるのか」と。
うちは、たこやき屋で、お願いします。
では、次は逆に、週俳をやっていて、「いやなこと、困ったこと」。
信治さんは、たこやき屋?
いいとこを取られた。
では、私は、そのとなりでやってる「研ぎ屋」ってことで。
どっちも露店だ。
>いやなこと
と言えるかどうか、ですが、いったんupした記事を、朝までちょこちょこ直し続けたりすることがあって、自分の文章に対する執着に、いいかげんにしろと思うことは多いです。
RSSフィードとかかけてる人には、たぶん大迷惑。
たこ焼き屋は、むかし、吾妻ひでおが、「たこ焼きはいい、ギャグなんか入ってなくても、タコが入ってればいいから!」と描いたのを読んで以来、いい商売だと。
>ギャグなんか入ってなくても、タコが入ってればいいから!
『スクラップ学園』でしたか。
>自分の文章に対する執着
ひゃっ! そこはみごとに対照的ですね。
私は(自慢することじゃないけど)タイポさえ放置。
で、私が思う「いやなこと」というより、怖れるのは、週俳が自分たちにとってルーティン化すること。
まあ、効率化のためのルーティン化はいいんですが、8割の「いついもどおり」と「2割」の「おっ!」。
この2割がなくなるのが、怖い。
●
次は、(どんどん行きます)、未来のこと。
直近では、「週刊俳句」編による、『新撰21』『超新撰21』の続編のような、そうでないような、アンソロジーの件ですね。
>葉月さん そうそう。
藤実さんが、天気さんは、町内会長だって(パイプの)。
>アンソロジー
まだ、お伝えできることがあまりないですが、んー。
もともと、ほら、こっちの山の湖と、あっちの山の湖に、水路を引きたい、みたいな話をしたことがあったじゃないですか。
町内会長? それはない。
純喫茶はアリ。おいしいコーヒー、いれますよ。
>まだ、お伝えできることがあまりないですが
そうですね。「お楽しみに」ということで?
質問とかご意見とか、受け付けながら、大団円に向かいましょうか。
どなたがいらっしゃるのかわかりませんが、ご遠慮なく。
なんでも。
●
信治さんとか私はその流れとは別に、ビジョンを用意しておきましょう。
自分が、俳句について、心からおもしろいと思っていることと、みなさんが言ってる俳句と、関係があるのかないのか。
ふたつの間をつなげて、ひとつにしてみたい、と。
その延長で、こっちの面白い俳句と、こっちの面白い俳句を、並べて読んでみたい、みたいな欲望が、芽生えていてですね。
そういうアンソロジーになるといいと思っています。
ビジョンというのは、ハモる練習みたいなことですか。
♪それでは、みなさま、
とか
>ハモる
いや、ダンドリ的にwww
関さんが、ツイッタで「要するに週俳が祭か縁日なのか」と書いて下さって。
そういうふうに言っていただけると嬉しいですね。春で朧でご縁日。
_otさんは、縁台将棋を見ている気分、と。
あとは、たらっと、1時終わりをメドに。
で、どうですか?
縁台将棋は、うまいなw
ネットはダイアローグ記事がはまるという話も、いつかしましたよね。
そう。
なんだか、合う。
例えば、私のベスト記事を挙げるなら、信治さんや四童さんとやった「アフター柳×俳」なのかな、と。
関さんからhttp://twitter.com/Seki_Etsushi/status/40801915390533632
ですって。信治さん。
そこそこボリュームのある記事、まったく個人的な関心による記事を、アーカイブとしておいておけるというメリットについても、言っておきたい。
結社誌に出された論考、週俳に載せてもいいな、というものがあったら、ぜひご推薦ください(自薦でも他薦でも)。
あー、将来的には、結社誌に載った重要な論考は、週俳で読める、っていうふうになると、ひじょうにいいですねー。
>結社誌に載った重要な論考は、週俳で読める、っていうふうになる
自動的・自然なスクリーニング。それはいいですね。不完全でも、その方向に行けば、いいな、と。
>アンソロジーは俳句・川柳作品だけで散文・対談等の収録予定はなしですか
あ、新撰同様、作品と、その解説(小論+対談)という構想です。
ちょっと、そこにおもしろい工夫が。クフフフフ。
作品も、工夫も、たのしみだー!
聞いてる側としてもわくわくしてきますねー。
あ、そうだ。
3月かなあ、4月かなあ。
電子書籍、やります。
電子書籍部長が欲しい(中の人でも、外の人でも)。
(アンソロジーに比べるとインパクト、薄っ)
たゞよしさん、ども!
乞うご期待です。
質問とか意見とか、まあ、そんなに出ないものですよね。これはあとから(明日以降)、ここに書き込んでもらってもいいし。
ここらへんで(いわば締めみたいな?)、将来ビジョン。しょうもない、暢気なことを言っておきます。
第1000号は十数年先。もう自分はやってない。優夢くんや生駒くんたちの世代やそれより下の世代がやっていてほしい。で、それまでは生きていたい。1000号記念のパーティに出かけて、「あの爺さん、誰?」とか言われる。それが個人的な夢。
信治さんは?
今年はいろいろありますねー。
これまで、稼業の方で思ったことなんですけど、ものごと、要所要所で、うっかり成算なくはじめる人が必要だと、思うことがあって。
週俳も、新撰も、海藻標本もそうかもしれない。
だから、その、回り持ちのようなもので、次は、みなさんがうっかりする番かも、しれないですよー、みたいなことを言ってですね。
そろそろお開きかでしょうか。
>上田さん
突破口さえ用意されていれば、飛び込む奴が一人はいるはずですから。
>天気さん
全然薄くないっ。
1000号!!?
あ、楽しいですねえ。
むかし「キャプテン」ていうマンガがあって、高校の野球部が舞台なんですけど、代替わりしていくんですよ。
天気さん、タニグチくんなんですねー。
じゃあ、同窓会でお会いしましょう。
そこ、大事なことこでしたね。
いま、これを他人事のように読んでる人が、明日は、読まれるほうになるかもしれない。それが週俳がしてきたことでした。
作者と読者がかるがると入れ替わる。それが週俳。
それは一文・一句から、なんらかの規模のイベントまで、同じように言える。
そんなことですね。
べつにコメント欄を閉じるわけじゃないので、気が向いたら、お気軽に書き込みを。
じゃあ、みなさん、お元気で、せいぜい長生きしましょうぜ。
ではでは!
これからも、よろしくお願いいたします!
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