2011年2月17日木曜日

●引用の置きもの ジャン・ボードリヤール+榮猿丸

注意!ゆめゆめ真に受けてはいけません
引用の置きもの ジャン・ボードリヤール+榮猿丸

constellation:
texts by Jean Baudrillard and Sarumaru Sakae



「環境」とか「雰囲気」とかいう概念がこれほど流行するようになったのは、実をいえばわれわれが他人の近くに生きるよりもむじろ従順で眩惑的なモノの無言の視線のもとで生きるようになってからである。〔ボードリヤール・後掲書p11〕

  箱振ればシリアル出づる寒さかな

市場、商店街、スーパーは異常なほど豊かな、再発見された自然を装う。それらは乳と蜜のかわりに、ケチャップとプラスティックの上をネオンの光が流れる現代のカナンの谷である。〔同p13〕

  胡麻振るやハンバーガーのパンの上

新しい文化とは、上等な食料品と画廊、「プレイボーイ」誌と『古生物学概論』との間にもはや何の違いもないような文化のことである。ドラッグストアは「灰色の物質〔知性〕」を提供するところまで現代化されようとしている。〔同p16〕

  弾初のギターアンプやぶうんと鳴る

経済的でもなく(役に立たないモノ)象徴的でもない(ガジェットには「魂」がない)この投資はもろもろの組み合わせそのものを楽しんだり組み合わせの変化を楽しんだりすることにほかならない。〔同p159〕

  ガーベラ挿すコロナビールの空壜に

ポップ以前の全芸術は「奥底に潜む」世界を見ぬこうという態度の上に成り立っていたが、ポップは記号の内在的秩序に同化しようとしている。つまり、記号の産業的大量生産、環境全体の人為的人工的性格、モノの新しい秩序の膨張し切った飽和状態、ならびにその教養化された抽象作用に同化しようとしている。〔同p162〕

  モザイクタイルの聖母と天使夏了る

ポップが意味するものは、遠近法とイメージによる喚起作用の終焉、証言としての芸術の終焉、創造的行為の終焉、そして重要なことだが、芸術による世界の転覆と呪いの終焉なのだ。ポップは「文明」世界に含まれるだけでなく、この世界に全面的に組み込まれることをめざしている。〔同p163〕

  Tシャツのタグうらがへるうなじかな

マス・メディアの機能は、世界がもっている現実に生きられた…一回限りの…出来事として性格を中和し、互いに意味を補完しあい指示しあう同質な各種のメディアからなる多元的な世界で現実の世界をおきかえてしまうことだ。結局、各種のマス・メディアは互いに同じ内容になってしまう。――これこそは消費社会の全体主義的「メッセージ」にほかならない。〔同p177〕

  おでん屋の神棚据ゑのテレビかな




ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』今村仁司+塚原史訳・紀伊國屋書店1979  La Societe de Consommation, Ses Methes, Ses Constructures 1970
『超新撰21』(邑書林2009年)

constellated by tenki saibara

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