2012年12月24日月曜日
●月曜日の一句〔高山れおな〕 相子智恵
相子智恵
サンタ或いはサタンの裔(すゑ)、我は牡猫 高山れおな
句集『俳諧曾我』(2012.10 書肆絵と本)のうち「侯爵領」より。
たいへん話題の句集で、そこここで刺激的な批評を見る。アートブックのような、函入り・8分冊からなる本書より、クリスマスプレゼントに選ぶなら「侯爵領」から、この一句。
「侯爵領」について作者自身による「目録+開題」から引こう。〈シャルル・ペローの童話「長靴をはいた猫」に基づく連作である。(中略)なにしろ知恵と行動力に溢れた主人公の猫が素晴らしいし、見た目がよいだけで流されるまゝの粉屋の息子も好ましいし、惚れつぽい王女さまも鷹揚な王さまも悪くない〉
たしかにこの物語の猫は一見ずる賢そうに見えて、いちばんの(というか唯一の)知恵者であり、行動する者だ。粉屋の息子は素直というか何も考えていないし、出てくる人は皆すんなり騙されるだけで、ただドミノ倒しのように美しきオチに向かう展開は、今読むと相当ヘンで、爽快な物語である。
掲句は主人公の牡猫の登場から。この猫がサンタの末裔であるのか、サタンの末裔であるのか。それは物語を読み終わった人が考えればよいことで、当の主人公である策略家の猫が、そんなことはどうでもよく〈我は牡猫〉という力強い宣言がいい。『我輩は猫である』みたいに凛としている。
〈唐婆(カラバ)の名何処より。おわあ。王よ、この贄(にへ)を〉という句もある。この句の〈おわあ〉は、萩原朔太郎の詩「猫」へのオマージュであろうし、この「侯爵領」という題名も、髙柳重信の句集『伯爵領』へのオマージュ。そのほか、浅学の私には見逃すものばかりだが、そういう先行作品への愛情ある呼びかけが『俳諧曾我』には随所に詰まっていて(以前、私は本句集の分冊のうち「三百句拾遺」に収められた一句「蒹葭」を読んでみたが(http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/11/10.html)、こういう句集を読む体験は、どこに隠されているかわからないクリスマスプレゼントを探す子供にも似た楽しさを与えてくれる。
そもそも作者自身が、人の悪いサンタなのか、人の良いサタンなのか、自ら分からなくしているところがあって、ただ俳句にとっては彼の持つ「また何かを巻き起こすかもしれない」と思わせる俳諧の精神は、ちんまりと再生産(作者のようなオマージュではなく、ただの矮小再生産)に陥りがちな近頃の俳句にとっては「サンタ」であるだろう。いや、そんなことはどうでもいいのだろう。作者も〈我は牡猫〉なのだろうから。
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