2014年7月23日水曜日

●水曜日の一句〔葛西省子〕関悦史



関悦史








蜂の子の手足出たるを食うべよと   葛西省子

結社「澤」では枯淡の境地からはおよそ遠い、肉食、悪食の句をよく見るのだが、この句もその一つ。

「食うべよ」の命令形は、この句では強制された、実際に食べたということよりも、目の前に差し出された蜂の子のグロテスクさの強調、およびそこからくる逡巡を示すために使われていて、まだ実際には食べていない。つまり「手足」が既に出ている蜂の子の外観が句のモチーフなのである。

ここは食べてみた後の句、味わいの描写なども見てみたいところだが、あるいは食べずに済ませてしまったのかもしれない。

純然たる好意からか、反応を楽しまれているのか、差し出した側の心情は判然としないが、差し出された側にとっては、およそ馴染みのない食材であることは句だけからも察しがつく。

一句の眼目は、昆虫食というだけでもふつう馴染みがないところへ、さらに不気味さを際立たせる「手足出たる」の変容途上ぶりであろう。昆虫の大半は加熱さえすれば食べられるとか、ヒトの祖先は、大型動物を仕留められるようになる前は貴重な動物性タンパクとして主に昆虫を食べていたとかいった話も耳にすることはあるのだが、そこを通して、普段は忘れている、動くものの生命を食うという営みの根源的な不気味さにまで一句が踏み込むということはなく、見慣れない食物を不意に差し出されたときの、一種の気分の華やぎのみが掬いとられている。この辺は作者の志向の問題なので、いいとか悪いとかいう筋合いのものでもない。

ところが、この慎ましくも身軽に、不気味なものの手前で身をひるがえしかねない、至極穏当な詠みぶりの中に置かれたことで「手足出たる」の異形が却ってめずらかな馳走の風情をまとい、美味そうに、また滋養もありそうに見えてくるという機微もあるので、やたらに踏み込むばかりが悪食の描き方とは限らないともいえる。


句集『正体』(2014.5 角川学芸出版)所収。

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