2015年1月14日水曜日

●水曜日の一句〔磯貝碧蹄館〕関悦史



関悦史








海の外れに心霊瓜を二つ持つ  磯貝碧蹄館


一つではなく「二つ」というのが鍵なのだろう。一対となった瓜が心霊の臓器のように見える。

同じ遺句集中に《モナ・リザの心房真似る真桑瓜》なる句もあり、こちらでも「真桑瓜」が「心房」に似かよっている。そして「モナ・リザ」と「心霊」はどちらも生身を持っていない。イメージだけの存在であることも共通している。

ただしこの心霊、イメージのみの存在かと思いきや、自力で瓜を持ち上げている。

臓器や生身の代わりに瓜を介して物質界に還ろうとし、半ばそれに成功しかけているのか。それとも初めから物体に働きかける能力を持った心霊であったのか。

さらに出現する場所も、墓でもなければ生活空間でもなく、この世の外れですらない「海の外れ」である。「海の真中」であれば何の動きもなくなるが、遠い「外れ」において、持ち上げられた二つの瓜という位置エネルギーを帯びた心霊は、その圧力をもってこちらに移動してきそうな気配もある。あるいはこちらが引き寄せられるのかもしれないが、ことさら場所の移動を伴わずとも、心霊はこちら(視点人物とも作者とも読者とも特定しがたい)と既にのっぴきならない関係を持ってしまっているようだ。心霊、二個の瓜の重量、海の外れという三要素だけで、すでに我々は絡め取られ、この世ともあの世ともつかない次元に釣りだされてしまっている。

しかしそれにしても、瓜を二個抱えた心霊という奇妙にはっきりしたイメージの、間抜けといえば間抜けな意味不明さはどうであろうか。これは単なる滑稽と取ってしまっていいものなのか。

死の恐怖に迫られて思わず漏らす笑みというものを形象化すれば、あるいはこのような姿になるのかもしれない。

作者没後に編纂された遺句集中の句という条件に、あまりにも引きずられた読み方であろうか。

ちなみにこの碧蹄館遺句集、魑魅魍魎の類を詠んだ句が奇妙に多い。幾つか引いておく。

亡霊とひばりの卵敷布替ふ
志戸呂壺より弦楽鳴りぬ貝やぐら
水晶玉の霊視へ霧が立ちこめる
蠟人形の蹠に野火の猛り来ぬ
人身御供の娘に生えよ蝶の羽
遠花火河童の皿に映りけり
柿の頃の人肉美味し件(くだん)坐す
野ざらしの髑髏に餅の粉を化粧ふ
製氷皿から飛び立つ乳房秋落日
十二使徒の遺伝子蝉に受け継がる
噴水を受く少年の無の五体


朝吹英和編『磯貝碧蹄館 遺句集』(2014.11 私家版)所収。

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