2015年1月7日水曜日
●水曜日の一句〔藤尾州〕関悦史
関悦史
枯蓮田骨の自転車仲間にして 藤尾 州
うちの周りだけのことかもしれないのだが(筆者はレンコン生産量日本一という県に住んでいる)、枯蓮田のまわりにはごちゃごちゃと何かが落ちていることが多いようだ。大体は雑草や、北風に吹き寄せられたらしい何やかやだが、壊れた自転車が落ちている景もいつかどこかで見た気がするし、枯蓮自体にもゴミ感がある。
そういう身近で懐かしい風景なのだが、「骨」と「仲間にして」で単なる風景ではなくなった。妖気というほどのこともないが、ゴムタイヤ等が潰れるか失せるかした自転車を「骨」と呼び、では死んだかと思えば、死後、枯蓮田と仲間になっているという。枯れた蓮と、もともと無生物である自転車との交歓の図だが、こんなことを感知し、見入っている側もただの人間からはやや食み出しかけているのだろう。
単に風景として懐かしいのではなく、やがて自分もその仲間に加わることになりかねないことからくる慕わしさと不気味さがこの句にはひそんでいるのだ。この感知力は、自己憐憫や老人意識といった心理性とはあまり関係がない。自分は何者で、どういう境位にいるのか。それを枯蓮田のへりというどうでもいいような場所が、不意にあらわにしてしまったのである。そして、あらわにされたところで、それもやはり心理的衝撃にはならない。相変わらず枯蓮田のへりのような怪しい場所を行過ぎるだけのことなのである。
句集『木偶坊』(2014.12 私家版)所収。
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