2016年7月27日水曜日

●水曜日の一句〔大崎紀夫〕関悦史


関悦史









ががんぼが窓かきむしり港に灯  大崎紀夫


ががんぼがかきむしるのは壁ではなく透明な窓であり、ががんぼはおそらくそこにガラスがあると理解できない。「かきむしる」にも、単に垂直面にとりつこうとしているというのを通り越した必死さがある。

いずれにしても、室内にともにいる虫の生態から引き起こされたもののあわれやおかしさが、作句意欲をかきたてたという句と見えるが、下五「港に灯」で少々様子が違ってくる。ががんぼの生態と、窓の外の叙景の取り合わせとなってくるのだ。

「港」という全体を俯瞰したような捉え方から、ホテルの上階の眺めのように思えてくる。しかし下五は「港は灯」ではなく「港に灯」である。つまり港一面に灯がともった見事な夜景ではない。港の規模が小さいか、あるいはまだ灯がともり始めたばかりの時刻ということである。取り合わせ上のバランスから考えても、一面に灯がともった夜景では、ががんぼが埋もれてしまうからこれで適切なのだろう。

結果として句は、ややものさびしく、その中でががんぼの動作が苦しげでありながら可笑しいといった情調に落ち着くことになる(ががんぼ自身が夜景を愛でたりはおそらくできず、自分がどう見られているかといった自意識もないのでなおさらのことだ)。

その情調は視点人物、ひいては作者自身にも及ぶ。「窓」一枚で表象される数十年規模しか持たない建築に隔てられ、港へじかに到達できない点では、人とががんぼの間に大差はない。地に足のつかない高層階となれば、そのよるべなさは一層増す。そうしたよるべなさを、ががんぼとともにすることで得られた叙景が「港に灯」なのだ。


句集『ふな釣り』(2016.7 ウエップ)所収。

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