小津夜景
居場所
高校生のとき、クラスの教育実習生として、北方領土からユーリ先生がやってきた。
ユーリ先生はもうすぐ二十八で、不死身の兵士みたいにごつい体つきをしている。眼光は鋭く、片頬に刃物の古傷があり、めったに自分から喋らない。
それがある日、エトロフ島の登山の話がきっかけで、校舎裏の桜の下で先生と二人、お弁当を食べる流れになった。
「言葉とか、いろいろ、つらくないですか」
スヌーピーの弁当箱を開くと、ふたの上に、ぽとん、と枝から毛虫が落ちる。葉桜の季節なのだ。
「少しね。でも島には仕事がないし、日本で英語の先生になれたらいいなと思っているんだ」
購買のカツサンドをほおばりながら、ユーリ先生が言う。
「じゃあ、先生はずっと無職?」
「いや。賭博場で働いているよ」
先生がお尻の手帳から一枚の写真を引き抜いた。オホーツクの親しい風景が映っていた。人は生まれる場所を選べない。自分も炭鉱の町に生まれ、知らない土地をめぐり歩き、九つのころにはすっかり実存主義者づいて、ソ連の監視船がゆきかう海を望んでは「なぜ自分はここにいるのか」「なぜ自分は生きているのか」と考えない日はなかった。
安部公房の「赤い繭」を読んで、不条理という文学的主題があることを知ったのもそのころだ。荒涼とした大地。よるべない日常。解決しえない問い。気の狂れた奥の手。
「日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない」
この書き出しの、心をとらえて離さない不思議な凝縮力。
とはいえ、いったい、なにが凝縮されているのだろう。孤独と郷愁? 詩と思弁? 狂気と笑い? それとも。
キーン、コーン、カーン、コーン……。
「あ」
「行こうか」
ユーリ先生が立ち上がる。弁当箱をしまって後を追い、手を洗おうと水飲み場の蛇口をひねると、わっと冷たい水がほとばしった。
水が織りなす六月の光と虹。ふいに胸の中から、けれども虹は不死身である、不条理の世界においてさえ、という声が聞こえた。
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