相子智恵
我よりの賀状も君が遺品なる 池田瑠那
句集『金輪際』(ふらんす堂 2018.9)所収
胸をつかれる句だ。〈我〉と〈君〉という特別な間柄で〈遺品〉を整理していることから、この二人が夫婦だということがわかる。
夫婦となって共に暮らすようになれば、連名で年賀状を出すことはあっても、互いに年賀状を出しあうことはない。だからこの年賀状は結婚前の、恋人時代の我が君に送ったものだ。その冒頭に書かれたであろう「あけましておめでとう」の形式的な賀詞でさえ、想像するに明るく、瑞々しい未来への希望を感じさせる。年賀状を大切にしまっておいた君の、当時の喜びまで見えてくるようだ。
年賀状には幸せな、まだ真っ白な我と君との新しい一年という「未来」があって、〈遺品〉の一言でその一切が一気に「過去」に変わる。その間にあった結婚生活の幸せも、伴侶を失う悲しみも〈遺品〉の前後の断層の中に描かれずとも凝縮されていて、まるで静かな映画を見ているようだ。
俳句という短い詩型の中で、感情を一切詠まずに、我と君、賀状と遺品という言葉だけで、これだけの時間と感情を立ち上げることができる。そして書かれた内容は個人的なのに、普遍的な寂しさがある。こういう句が時代を超えて残るのだろうと、私は思う。
掲句は〈夫、輪禍に遭ひ、二日後に他界。二十二句〉と前書きのある一連の作品の後に、置かれている。
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