2018年12月11日火曜日

〔ためしがき〕 坂口安吾の小林秀雄論について、勝手なことを書く。 福田若之

〔ためしがき〕
坂口安吾の小林秀雄論について、勝手なことを書く。

福田若之


文芸批評が陥るある種の宗教性に対する批判としては、坂口安吾の「教祖の文学――小林秀雄論」が名高い。いや、名高いかどうかなんてことはこの際どうだっていい。とにかく、そうした批判としては安吾の「教祖の文学」がある。

この論のなかで、安吾は、「當麻󠄁」と題された小林の文章から「美しい「花󠄁」がある、「花󠄁」の美しさといふ樣なものはない」という一節を取り上げて、次のとおり批判している。
 私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも亦人なり」といふ文章の解釈をだされて癪にさはつたことがあつたが、こんな気のきいたやうな軽口みたいなことを言つてムダな苦労をさせなくつても、日本に人は多いが、本当の人物は少い、とハッキリ言へばいゝぢやないか。かういふ風に明確に表現する態度を尊重すべきであつて日本に人は多いが人は少い、なんて、駄洒落にすぎない表現法は抹殺するやうに心掛けることが大切だ。
 美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない、といふ表現は、人は多いが人は少いとは違つて、これはこれで意味に即してもゐるのだけれども、然し小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思ひこんで取り澄してゐる態度が根柢にある。
ところで、こう批判する当の安吾は、この論をどういう表現で締めくくっていたか。こうだ。
落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はたゞ花を見ただけだ。その花はそのまゝ地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のやうな地獄であつた。彼はもう何をしでかすか分らない人間といふ奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。
しかし、「人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない」とは、これ自体、小林秀雄的な、すなわち、意味に即してはいるが曖昧な、気の利いたような表現ではないか。「人間だけが地獄を見る。しかし、当の人間はそれが地獄だとは思ひもしない」とでも書けば、すくなくともより明確にはなるだろう。

こんなふうに書くと、まるで安吾の揚げ足を取ろうとしているように読まれるかもしれないが、そうではない。むしろ、このあからさまな齟齬こそ、まさしく安吾の論の核心に触れるものだということが言いたいのだ。小林が、「歴史の必然」ということを言い、さらにまた、「無常といふこと」という文章のうちに、あるとき彼自身が川端康成に言ったこととして「生きてゐる人間などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひ出すのやら、仕出來すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解つた例しがあつたのか。鑑賞にも觀察にも堪へない」と記しているのに対して、安吾は次のとおり応じる。
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まつたく分らないのだ。現在かうだから次にはかうやるだらうといふ必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だつて生きてる時はさうだつたのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などといふものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。ただ歴史はすでに終つてをり、歴史の中の人間はもはや何事を行ふこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫つてゐたのは、彼らが人間であった限り、まちがいはない。
だから、「気の利いたやうな言ひ方は好きでない」という安吾が、あたかも足をすべらしてプラットフォームから落っこちてしまうかのように、当の文章をそうした気の利いたような言い方で締めくくってしまっているからと言って、目くじらを立てるような真似をするのは、まったくもって野暮なことだ。むしろ、安吾の小林批判の核は次の一節に書かれていることだったはずだ。
 人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。
 だから小林はその魂の根本に於て、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。
歴史を必然と見て崇拝する小林の傾向に、安吾は生と偶然との肯定を通じて否を突きつける。このことに比べれば、表現の曖昧さなどはまったく皮相的なことにすぎない。安吾が「小林秀雄も教祖になつた」と書くとき、その直前に書かれているのは「あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまつたから、人生よりも一行のお筆先の方が真実なるものとなり、つまり武芸者も奥義に達してしまふともう剣などは握らなくなり、道のまんなかに荒れ馬がつながれてゐると別の道を廻つて君子危きに近よらず、これが武芸の奥義だといふ、悟道に達して、何々教の教祖の如きものとなる」ということだ。安吾が「私が彼を教祖といふのは思ひつきの言葉ではない」と書くとき、その直前に書かれているのは「生きた人間を自分の文学から締め出してしまつた小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ」ということだ。人生を軽視し、生きた人間を文学から締め出すとき、ひとはそのことによって小林秀雄のように文学の「教祖」になってしまう――安吾が書いているのは要するにそういうことだ。

安吾は「人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである」と書く。ならば、安吾の「人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない」という表現は、小林秀雄的か。断じて否だ。安吾は、きっと、こう書かないことだってできただろう。けれど、こう書いた。書いてしまった。たぶん、書かずにはいられなかった。「恋は必ず破れる、女心男心は秋の空、必ず仇心が湧き起り、去年の恋は今年は色がさめるものだと分つてゐても、だから恋をするなとは言へないものだ」と安吾は書く。言葉遊びの欲求もまた、抹殺を心掛けたからといって殺しきれるものではない。そのとき、安吾は生きていたのだ。

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これで、「ためしがき」の連載をいったん終わる。理由? そもそも理由もなくはじまったものが終わるのに、ただそうしたくなったという以上の理由が必要だろうか。まあ、いずれにせよ、僕は今のところためしがきということそのものをやめるつもりはない。ただ、それをノートのうえでなされるより内密ないとなみへと還すというだけのことだ。

2018/12/4

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