相子智恵
一巡りして弧が閉じる寒卵 藤田哲史
句集『楡の茂る頃とその前後』(左右社 2019.11)所載
読み切って、脳内が静謐な、無音の白さに包まれた。
〈一巡りして弧が閉じる〉のような理知的な書きぶりというのは、頭で変換しなければならない分、正直、私は感興が湧きにくいたちで、〈寒卵〉がうすぼんやりしている段階まではさらりと読み流していたのだけれど、〈寒卵〉がぱちっと目に入った瞬間、そこで文字通り、時が止まってしまった。完璧なかたちの、白くて冷たい〈寒卵〉を表すのに、〈一巡りして弧が閉じる〉とは、なんと美しい措辞なのだろう。
〈弧が閉じる〉は卵の完璧なかたちを示しているだけではなくて、そこに「冬そのもの」が閉じ込められているような飛躍が、確かにある。「冬籠」という季語が、本当は人事に限るものではなくて、草木もすべての活動をやめてじっと籠って春を待つ「ふゆこもり(冬木成)」であったように、すべてのものが籠る冬はまさに〈一巡りして弧が閉じ〉た〈寒卵〉の中にいるような状態ではないか。〈寒卵〉の白さと冷たさは雪のそれを思い出させて、〈弧が閉じる〉には空間だけでなく、白く冷たい雪に閉ざされた「冬の時間」をも閉じ込められているような気がした。
完璧に弧が閉じているのに、それでいて白さがすべてを覆い尽くしていて、狭いのだか遥かなのだか、暗いのだか明るいのだか、まるで自分が大きな〈寒卵〉の中に入ってしまって、ただただ白い世界の中でひとり春を待っているような気がしてくる。
一読、数学的な把握で抒情から遠く、乾いているように見えながら、その中にぴっちり充填されている、静かな抒情に確実に引き込まれる句だ。それはどこか、この白く美しい句集の佇まいとも、すべての句群とも、通じているような気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿