西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
象 忘れ物をしてまた出会うこと 柳本々々
五七五17音の定型(ぞうわすれ/ものをしてまた/であうこと)のもつ韻律の心地よさを、あまずは言っておいて、《象》の直後の全角1字アキが、俳句における切字に見えてくる。
川柳を俳句に引き寄せて語ると叱られそうだが、俳句の近くに身を置く者としては、どうしても、ここに断絶・切れ・裂け目を見てしまう。2音の直後とという切れの位置の変則具合も含め、切字の快楽が、ここのはたしかに、ある。
《象》は、《忘れ物をしてまた出会うこと》という中盤以降を包む込みながら離れて有る。この句の《象》は、事物であり、《象》的な空気であり、《象》的な感触。言い過ぎの誹りを覚悟すれば、《象》を初めて目にした日のことすべて、かもしれない。
そうした《象》的なものが照らす/響くなか、中盤以降は、どうだろう? 《忘れ物をしてまた出会うこと》の中にも、軽い断絶・微かなよじれがある。《忘れ物》と再会とは、因果を離れつつ、一種ロマンチックな気分ではつながっている。
〈切れ〉をはさんで、モノとコトが偶発的な、また一度きりの同居・照応を果たす。これは俳句やら川柳やらのジャンルに拠らない。まずまず短い(おおよそ17音の)テキストがもたらす愉楽なのだなあ、と。
掲句は『川柳スパイラル』第2号(2018年3月)より。
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