
西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
唐突にアグネス・ラムと言われても 中内火星
このところ、というか、以前よりたびたび、人名の入った句を取り上げることが多い。性癖として甘受するべきことで、いまさら慎み深くなることはできないし、必要もないのだろうが、はたと周囲に考えをめぐらせば、俳句世間では、人名を含む句は、たいてい、外道とされ、忌み嫌われ、鼻で笑われ、「ああ、このひとは、こういう句をつくる、こういう人なんだ」と、目で見られる。
川柳ではどうなのだろう?
同じであってほしい。おおぜいから歓迎される句なんて、ろくなものじゃないから。だから、この句も、川柳世間で、白い目で見られていることを切に望むわけですが、それよりもまず、というか、それとはべつに、アグネス・ラムを知らない(若い)人が多くなってしまっいました。
私もよくは知らない。当時、やたら目にした気はするが、彼女の何を知っているのか? と自問してみると、あまり知らない。それでも、アグネス・ラムを詠み込んだ新年の句をつくったことがあるので、まるっきり縁遠いこともない。
興味をもった若い人は、ネット検索してみるといい。ついでに画像検索すると、アグネス・ラムは夏の季語(七五)かと思うにちがいない。
さて、くだらない前置きが長くなったが、掲句。アグネス・ラムの唐突感・唐突性について語るべきなのかもしれないが、それに紙幅を使うこともない。誰かに、どこかで、「アグネス・ラム」と声に出された瞬間を想像してみるだけでいい。ある人は「え?」だけで終わってしまうし、ある人は底なしの虚無を感じるかもしれない。
それでいいと思う。話題が広がり、話が弾むのは、気持ち悪くマスキュリンな世界なので、「は? なにゆってるの?」くらいがいい。
で、川柳も俳句も同じで、「は? なにゆってるの?」としか言えないような句がいいと、私はつねづね思っています。
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