2025年12月17日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #87

 

西鶴ざんまい #87
 
浅沼璞
 

  其道を右が伏見と慟キける   打越
   朝食過の櫃川の橋      前句
  老の浪子ないものと立詫て   付句(通算69句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】 三ノ折・裏5句目。  雑。  立詫て(たちわびて)=述懐。
  波―川(類船集)。  乞食(コツジキ)―橋の辺(類船集)。

【句意】「老いの波を受け、(世話になるべき)子どもすらないものを」と悲嘆に暮れて(物乞いをしている)。

【付け・転じ】前句の旅の朝景色に、老いた乞食の述懐を描出した転じ。

【自註】世間の「食過(めしすぎ)」を請けて、此の句は袖乞(そでごひ)に仕立てたる付けかたなり。櫃川の*よせに「老の波」と出し、年寄たる者に子ない身の行すゑをなげきし有様を一句に仕立つ。**世の人心、捨てかねたる命ぞつらし。

*よせ=付寄せ。  **世の人心(ひとごゝろ)=遺稿集『西鶴織留』(1694年)の副題。

【意訳】世の「食事時を過ぎた頃」を受け、この句は(「食」つながりで)乞食に仕立てた付け方である。櫃川(という水辺)の付け寄せに「老の波」と出し、老いて子のない人の、身の行末を嘆いた有様を一句に仕立てた。世間の人の心(を思うに)、死なれぬ命ほどつらいものはない。

【三工程】
(前句)朝食過の櫃川の橋

  袖乞の身の行末を嘆いては  〔見込〕
     ↓
  袖乞の子なく老いしと立詫て  〔趣向〕
     ↓
  老の浪子ないものと立詫て  〔句作〕

朝食過ぎの橋のたもとに乞食の嘆きを見出し〔見込〕、〈どのような悲嘆か〉と問うて、「子もないままに老いて」と物乞いの科白とし〔趣向〕、水辺の付として「浪」の一字を加え、さらに「袖乞」の抜けとした〔句作〕。

〈捨てかねたる命ぞつらし〉は晩年の西鶴的表現かと思うんですが。胸算用にも〈貧にては死なれぬものぞかし〉とありましたよね。

「あるけどな、晩年になってからやないで。一代男でもな、北のサカタいう港のな、夜鷹を描いてな、〈死なれぬ命のつれなくて〉と筆をふるったオボエがあるで」

ちょっと待ってください、一代男、山形の酒田……巻三の六にありますね。ああ、ここだ、〈我が子を母親に抱かせ、姉は妹を先に立て、伯父・姪・伯母の分かちもなく、死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき事ども、聞くになほ不憫なる世や〉。
「それそれ、夜鷹の家族を描いたんやで」

なるほど、一代男からのテーマだったんですね。

 

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